Q6
従業員の健康管理をするにあたり、産業保健職は様々な記録をとっていますが、法的留意点はありますか?
A6
総論
産業保健職は、事業者が従業員に対して負う安全配慮義務の代行のため、種々の記録をとることになりますが、一方で、当該記録は、開示請求の対象にもなり得ます。少なくとも、不正確な事実に基づく記録や不適切な表現による記録は、安全配慮義務の履行に役立ちませんし、従業員との関係上も悪影響を及ぼします。開示請求に委縮するあまり、必要な事項を記載できず、結果的に、安全配慮義務が履行できなければ本末転倒ですので、主観に偏らず、必要な調査を踏まえ、客観的で正確な記録に努める必要があります。
詳論
事業者は、従業員に対して、安全配慮義務(労働契約法5条)を負っています。
労働契約法5条には、「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定められており、ここで身体等には衛生や健康も含まれます(別途、通達で示されていますし、種々の裁判例からも明らかです)。
従業員に「必要な配慮」をするためには、その従業員のことをよく知っておく必要があります。安全配慮義務履行の観点からは、産業保健職が相談者から得た情報はすべからく記録に残し、産業保健職間で共有することが望まれます1)。
ところで、個人情報保護法の制定や改正もあり、従業員の個人情報保護やプライバシー権の保護が重視されるようになっています。個人情報保護法に基づき、従業員本人は、個人情報取扱事業者(通常は勤務先)に対して、自らに関する保有個人データの開示を請求することができます(個人情報保護法33条1項(*))。日ごろ、産業保健職がとっている記録についても、本人の個人情報に該当する限り、開示請求の対象となり得ることを押さえておく必要があるでしょう(記録作成者の評価、著作と解される部分は対象になりませんが、黒塗りで隠すのは面倒ですし、区分けは困難です)。これに限らず、文書送付嘱託、文書提出命令、証拠保全の申立て等といった裁判上の手続を通じた開示も想定され、そうなると、個人情報のみが対象になるとは限りません。
このような法的手続に対して過度に委縮する必要はありませんが、「従業員の目に触れるかもしれない」といった認識で相談記録を作成していく必要はあるでしょう。不正確な事実に基づく記録や不適切な表現のある記録等については、安全配慮義務の履行に役立たないだけでなく、その書証の信頼性自体に影響しかねませんので、注意が必要です。このような事態を避けるために、記録のとり方をあらかじめ定式化しておくのも効果的でしょう。
かといって、従業員が述べた言葉をそのまま記載したりする方法をとるだけでは、必要な情報が共有されず、日常的に産業保健職がチームで産業保健活動を行うことに支障が出る場合もあるでしょう。やはり、面談者が受け取った細かなニュアンスや感覚等も、共有しておきたいところです。この点につき、産業保健での面談記録については、従業員本人の個人情報としての性格とともに、会社による健康管理や健康にかかわる人事管理等、会社としてなすべきことや労働力、企業秩序などの会社の利益に関わるものであるため、個人情報保護法33条2項2号(*)に該当し、開示を拒否できる可能性があるとの見解もあります2)。ただ、裁判上の開示命令を受ければ、文書全体が関係者の目に触れます。いずれにしても、産業保健職が面談記録の作成に委縮し、必要な事項を書けなくなり、適切に安全配慮義務を履行できないといった本末転倒な事態だけは避けなければなりません。
産業保健職においては、面談記録をとる際に、様々な工夫が凝らしているところではありますが、やはり大切なのは、いざとなれば人目に触れることを承知しつつ、プロとして必要な情報は書き込むという姿勢だと思われます。要するに、一つ一つの記録に責任を持てるかといった視点になるように思われます。安全配慮義務との関係で役立たたない記録についてはあえて残す必要はありませんし、事実の正確性などについても注意を払うことが大切になるでしょう。事業場や従業員との関係性等を踏まえながら、その折々のケースに応じた記録のとり方を実践していくのが大切になると思われます。
(*)個人情報保護法33条1項、2項
第三十三条 本人は、個人情報取扱事業者に対し、当該本人が識別される保有個人データの電磁的記録の提供による方法その他の個人情報保護委員会規則で定める方法による開示を請求することができる。
2 個人情報取扱事業者は、前項の規定による請求を受けたときは、本人に対し、同項の規定により当該本人が請求した方法(当該方法による開示に多額の費用を要する場合その他の当該方法による開示が困難である場合にあっては、書面の交付による方法)により、遅滞なく、当該保有個人データを開示しなければならない。ただし、開示することにより次の各号のいずれかに該当する場合は、その全部又は一部を開示しないことができる。
一 本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合
二 当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合
三 他の法令に違反することとなる場合
【参考文献】
1)「『職場におけるメンタルヘルス対策のあり方検討委員会』報告書」(中央労働災害防止協会(厚生労働省委託)、2006年3月)
2)三柴丈典.安全で効果的な記録の保存法─健康情報保護と安全配慮義務の視点から.産業看護.5:5(445),2013, 35.