日本産業保健法学会 広報誌「喧々諤々」第2回インタビュー【後編】(広報 on HP) 

日本産業保健法学会 広報誌「喧々諤々」インタビュー
第2回「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用

日時  令和5年1月13日15時~17時
参加者 三柴 丈典 (近畿大学法学部 教授)
聞き手 森 晃爾(産業医科大学産業生態学研究所 教授)
    彌冨 美奈子(株式会社SUMCO 統括産業医)
    小島 健一(鳥飼総合法律事務所 弁護士)

 当初ご参加を予定しておりました岡田俊宏先生(日本労働弁護団常任幹事 弁護士)のインタビュー当日のご参加が叶わなかったことから、後日、本インタビュー記事の前編・後編に目を通していただいて、労働者側で仕事をしておられる弁護士の視点から、コメントを頂戴しました。岡田先生のコメントは、別途、アップしておりますので、是非そちらもご覧いただければ幸いです。

 

「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用【後編】

<業種別規制からリスクによる規制に変えても残る課題-旧来の運用手法など>

彌冨 今、三柴先生より業種で規制するのはなかなか難しく、おそらくそれは不明確な雇用形態や標準的ではない就労形態へと多様化する中で、業種で分けて規制することが難しくなってきて、それよりは、たとえば交通安全とか化学物質のリスクや長時間労働のリスクなどのリスクごとに分けてそれを管理していくという理論をご説明いただき、理解を深めることができました。

三柴 ありがとうございます。実は、そういう方法に変えても課題はあると言いますのは、要するに今までの規制のスタイルに法の運用者が慣れているということがありまして、たとえば労働基準監督官が監督をしようと思う時に、今の時点でも、衛生管理関係はチェックリストを渡してちょっとインタビューして終わりにする、決ったルールをそのまま守らせて終わりにするという監督行政をやっている現場があります。現場を見ない行政マンも増えているということです。
 安全衛生については、以前は地方で任用する/採用する技官がいました。今も専門官という制度は残しているのですが、しかし地方での技官という枠組みでは採用をしなくなっています。すべて労働基準監督官として採る。B区分と言われる理工系の監督官の採用人数を増やしたのです。ところが同じ労働基準監督官という枠組みで採用してしまうと、結局、官邸が働き方改革と言ったら全員がそちらに狩り出されてしまうのです。安全衛生のことなどもやれなくなってしまうのです。
 人間はとくに現場で経験を積まないと直感が働かないのです。リスクで分ける規制方式にするということは、現場に行った人がこれは危ないという感覚が働いて初めてワークするので、人がいないとだめだということです。

彌冨 現場を見てそのリスクを正しく判断する人がいて初めて…。

三柴 動くのです。規制は変えなければいけないと思うのですが、その規制を動かすための人も用立てないといけないということです。

 

<実感できないリスクもある>

彌冨 ありがとうございます。森先生、現在、化学物質管理が強化され、化学物質専門家をどう育てるかが、労働安全衛生では問題になっていますが、やはりリスクを見る人を育てるというのはとても大事なことですね。

森 今の話を聞いていて、「ああ厳しいな」と思いました。リスクを産み出す人がいて、リスクをコントロールできる人がいて、それをどのように現場に責任を分担して適用するかというところまでは、一般論で決めておけるが、それを実際に運用するところの難しさだなと思いました。一方で現場に行きリスクを実感するということが入口になると、実感できるリスクと実感できないリスクがあるので、実感できないリスクをどうするかということです。たとえば、化学物質の中でも、晩発性の障害が起きる物質、発がん物質のようなものはリスクを実感できないもので、さらにばく露の結果自体も、仮に労働者にがんが発生しても、本当に化学物質で起きたのかどうかですら分かりません。過剰発がんの問題なので。そうなると実感ではなく専門家を使わざるをえなくなる。そういう種類のリスクまであるので、これはなかなか難しいなと思いました。英国のHealth and Safety Executive(HSE)のレポートの中に、英国の職業性ばく露による死亡が年間13,000人という推計値が出されています。そのうち、悪性中皮腫が2,500人くらいです。この数字の中には多くの職業がんが含まれていると思います。その差分は何かと言いますと曝露がモニタリングされている国においては職業がんの過剰死亡は、ばく露が分かると計算できる世界であります。しかし日本のように曝露がモニタリングされていない国においては職業がんがどのくらい発生している可能性があるかですら推計できないことになります。したがって分野によっては、実効性を上げるためには、そのような取り組みが難しい分野がありますね。

三柴 化学物質の管理においては、言われるように現場だけを見ていてもどうにもならない。ただ現場でもっとやらなければいけないことがあるという、この2つだと思います。まず化学物質を扱う産業を維持しなければならない以上は、やはりILOが言うように、国が責任を持って化学物質のハザードをきちんと調査する。あとは今の労働安全衛生法57条の4のように国が製造者などが自分で調べた結果を集める、国は一元的にハザードとリスクの調査をやれるところまでやる。それを中心にシスティマティックな管理を規制体系の全体でやらなければいけないということは、まちがいないと思います。
 一方で、もう少しやはり現場に責任を課さなければいけない。モニタリングの部分については、その事業場の実態に応じたやり方でいいから、基本は曝露の部分、必要に応じて生物学的なものなどを色々な方法できちんと記録をとらせて、何かあった時に検証ができるようにしておくということだと思うのですが、申しあげたように今までの規制の仕方は、危ないと分かっているところに人をつける、専門家をつけるというやり方だったのですが、そうではなくて化学物質というのは、基本はみな危ないのだという思想を前提にして、危なくないと言うなら専門家を付けて証明せよというように規制の仕方を変えないといけない。そこは、昨年出た「化学物質管理のあり方検討会報告書」にも書いていただきました。自律管理などは無理だという声も多いですけれど、どういう規制形式でも、その部分はきちんと進めてもらうのがいいかなと思っています。

 

<化学物質管理は安衛法の規制ではコントロールできなくなっている現状>

 化学物質はローベンス報告から始まって自律管理の話をやっていこうという時に、現場にどのように適用しようかということになります。日本では、作業列挙方式、物質列挙方式に近い形に慣らされてきた中で、今後、ひとつひとつの雇用形態によってどこでリスクが産み出され、どこにリスクをコントロールできる人がいて、そのコントロールをする手法論は...、というようなことのすべてを具体的に書き込めるわけではありません。このような状況で、リスク創出者管理責任の原則を適用していこうという話なので、難しい、本当に大きな転換が必要な話だなと理解しました。

三柴 実はこの産業保健法学会を作った意味そのものなのですが、安全衛生における法制度の役割というのは、科学的に証明できないリスクへの対応というものが大きいと思っていまして、そこはコンセンサスで進めるしかないわけです。サイエンスベース、コンセンサスベースというように科学の世界では言われますが、コンセンサスベースのアートが法規制の強みだと思うのです。厳格さが求められる刑事ではさすがに難しいのですが、民事では、安全配慮義務という概念がかなり育って来ていて、内外ゴム事件のように管理濃度を守っていた事業場でも他の管理がいいかげんなら安全配慮義務違反と認めるということなどを示してきたのです。今の段階でも、民事では「危なくない」という証明責任はかなり使用者側に負わされていると思います。しかし、それと行政が管理監督する労働安全衛生法の体系が実は一致しておらず、要するに安衛法を守っているだけでは安全配慮義務を守ったことにはならないので、それでもいいとみるか、もう少し統一した方がいいかというようなことだと思います。

 

<中小事業場への規制の実効性と法を先取りするプラットフォームへの対応の限界>

小島 本学会の英文学会誌の編集長を務めてくださっているリチャード・ジョンストン先生の前回の学術大会での講演で出ていた話かもしれませんが、いちばん関心を持つのは、オーストラリアでは包括的に規制する厳しい法律を作ったけれども、そのエンフォースメントに苦労されているということです。どのように苦労されているのか。
 と言うのは、三柴先生がおっしゃったsoft-law(柔軟な法)中心、ガイドライン中心に進めるという日本のやり方は、大手企業やレピュテーションを気にする事業者には合っているとしても、多くの労働者が働いている中小企業の経営者にどれほど力を持っているのかというところは、非常に疑問を感じています。気にもされていないと言いますか、ガイドラインなどを知りませんし、言われても、べつに罰則はないのでしょう、法的な義務ではないのでしょう、誰かに取り締まられるわけではないのでしょう、裁判を起こされたら負けるリスクはあるかもしれないが、その時はその時だという意識なのです。そのようなことで、はたしていいのでしょうか。そうだからと言って、罰則付きで強烈にやろうと、日本がそちらに舵を切った時にどうなるのかといったことを想像する時に、オーストラリアで苦労されていることに何かヒントがあるのか、どうなのでしょうか。そのあたりが気になります。
 それから、プラットフォーム事業者というのはまた少し性格が違うのではないか。容易には言うことをきかないと言いますか、はなから、免れる、逃げることを考え、予め準備して戦略的に挑んできているような相手に、そのやり方ではいかがなものなのでしょうか。むしろ、こうして規制するつもりだから、先に予習して潜脱手段を考えておきなさいと言っているに等しいわけです。まさに今は国際的な競争で、規制の弱いところで集中的に儲けようという世界戦略もあり得るわけですから、はたして日本は今後どうなっていくのか。経済原則にしたがって、市場競争によって劣悪な事業者やビジネスモデルが淘汰される、負けていくということであるならば市場原理に任せておいていいのかもしれませんが、soft-law(柔軟な法)による規制では、法律はきちんと守る、ガイドラインにも従うというような良心的なことをやっていたら競争に負けてしまうということを放置ないしは助長しかねないのではないかと懸念します。労働者側の立場から述べているようですが、それでもそういう外資系企業の仕事をたくさんやってきた感覚からすると、何か甘いのではないですかという疑問を感じるのですが、いかがでしょうか。

 

<規制強化の大きな流れはあるもののその徹底が日本では難しい事情>

三柴 非常に重要なところを突いているなと思います。さすがに外資系で法律実務をやってこられた感じがします。と言いますのは、私は日本の「古き佳き」というものをわりに大事にするタイプなのですが、洞察力のある人物からも、もうそういう時代ではなくなっている、組織管理も人事管理ももっとドライになってきているという話も聞くので、そうは言っても残っているでしょうという思いもありつつ、小島先生の言うようにもう少しドライにルールを強化して管理していくような方法も進めなければいけないというのもそうかなとも思います。
 そういう意味で、先ほども申しあげたように原則論としてのリスク管理規制を強化するということは進めないといけない、リスクを管理できる人が責任を負うということは強化しなければいけないというのは、大きな流れとしては、必要だと思っていますが、おそらく日本の規制というのは、そうやって次の準備をしておくということはできても、少しずつ進める以上に先回りをして歯止めをかけてしまうということは、日本の安全衛生での規制は、おそらくできないと思います。さらに言いますと、本質的には安全衛生というのは労使関係にとらわれていたのではもうだめなのです。しかし、安全衛生問題も労働者の問題という枠組みをはずしてしまうと、厚労省が政策を他省に持っていかれてしまいます。したがって、厚労省としては、これはあくまでも労働の問題なのですと言わないといけない部分もあると思います。ただ、安全衛生政策はもともと多分野融合の分野なので、相乗りにさほど抵抗はないように思います。両立支援政策など、現にそういう流れもあります。
 そして何より、日本の文化です。それゆえに、色々な規制はつくるものの緩めにしておいて、ひどいことをやる事業者がいたら工夫をして運用をするという方法が採られてきました。ラジカルな法律をボーンとつくり、上から落とすような形で強制をするという形は好まないので、ギグワークについても直接規制して縛るような海外の規制のようなものはつくらないでしょう。いい例が約款規制です。契約の条件を決めて相手を縛る、消費者を縛るという商売の手法についても、日本の場合は、約款規制法のようなものをつくらないのです。要するに、業界ごとにガス事業法、電気事業法、運送事業法、宅建業法などをつくっておいて、そういう業法で業者を指導できるようにするというソフトなやり方をするのです。それで本当にひどいことをやるところがあったらさすがに免許を取り消すとか、こういう法律もあるのだから柔軟に解釈すれば裁判で敗訴させられるのではないかということでやってきたのです。
 話を元に戻しますと、小島先生が言われるように戦略的に先回りをして規制をかけるというのが重要、必要な時代に入ってきていると思いますが、実際には日本ではなかなか難しいということです。
 最後に中小企業対策について言えば、英米など海外の場合は、日本ほど綿密に従業員数などで規制を分けません。どの規模の会社もすべてこの原則を守れというようなルールを作ります。そのかわり現場の監督指導の際に、役人が監督をする時にさじ加減を図れという監督指導ガイドラインなどを公表しています。日本にも「中小企業には様子をみて、段階を踏んでいけ」と書かれた監督指導用の文書はありますし、そもそも法律自体が企業規模によって考えて規制を分けるように書いてあり、要するにスタイルが違うものですから、どちらがいいのかは分かりません。ただ、日本の方が人頼みだったわけですから、行政マンにせよ、現場の専門家にせよ人が育たなくなってしまうと本当に回らなくなるという危機感は持っています。

 

soft-law(柔軟な法)だけで本当にいいのか-ラジカルな規制ができない日本の事情>

 リスクがあります、リスクを管理する責任がありますと言った時に、その手法論も書いていないし、取り締まりもできなければ、結果論として何か起こった時に責任をとってもらうということしかないわけですね。リスクを金銭として損失の期待値を出し、その対策のコストを考えた時にどちらが高いかという話になってくると、おそらく日本ではコストをかける方が損失の期待値よりも大きいだろうと思います。摘発の回数もそうですし、懲罰的な賠償もないという時に、はたしてこれからもsoft-law(柔軟な法)でいきますということで本当にいい世の中なのかという議論はしなければいけない。

三柴 まさにそこが本質で、予防の政策も手は色々と打ってはきました。長い規制の歴史の中で、労働安全衛生法ができたことで、体制や情報共有や手続きなどの面で経営に法律が口をはさんだ。これが安衛法の制定だったのです。それまでは再発防止策ばかりを書いていました。こういう災害が起きたからこういうことはやってはだめだということをルール化して強制することしか、ほとんどやってこなかった。本質的な対策として、例外的に機械の検査等はありましたが、それを今の安衛法をつくった時点で、ゼネコンなどの元方事業者が現場を束ねて安全管理をしなさい、また、事業者中心に専門家を使い、安全管理の組織をつくりなさいというように経営のやり方に法律が口をはさんだのです。それで災害が非常に減りました。時間をかけてなのですが、検証をしながら少しずつ規制の歩を進めてきたことはまちがいない。このような安衛法の展開をまとめてみたのが、以下の図1になります。

(図1)
③三柴先生図1

 規制を見ますと今後起きそうなリスクに対してもかなり適応しそうな内容は色々書かれています。したがって、少なくとも民事裁判では、今の安衛法を参考にすれば事業者なりにかなり責任を課せるようにはなっている。ただ、刑法としての側面では、安衛法はユルユルというか限定的です。理念的に大事なことがたくさん書いてあるのですが、犯罪扱いするための構成要件という意味では、充実度が海外の規制に熱心な国にはまったく及びません。
 それならその発想を変えていくかということなのですが、実は、強い規制をつくる弊害もけっこうあるのです。まさに海外のように管理責任をバシッと法律として書いたうえにしかも罰則もつけるということですが、まず内閣の法制局がこれを通してくれません。構成要件が抽象的だと。一般刑法には抽象的な表現はたくさんあるにもかかわらず、労働安全衛生法でそういうことをやろうとすると、認めないということがあります。現にそういう抽象的な法律をつくると、労働基準監督官の権限が強まりすぎることにもなります。危なくもないのにルールにあるのだからと自分の恣意的な運用を始めるということが起こりかねない。また、違法の判断基準が不明確なので、裁判で無罪になってしまうということも起きる。現に、これまで厚労科研などで調査をしていても、労働基準監督官というのは人によってかなりスタンスが違う。労働行政の方々には人次第の面もあります。よって、そこまで権限を与えていいのかという不安は分からないでもないです。
 本当にルールでしかものを考えない方もいたりするので、十分に現場も見ず、リスクの源流も見ずに、「ルールを守っていないではないか。以上。」のような執行をされたのでは、現場はイタイだろうと思いますし、要するに、ただきつい規制をつくることで色々と起こる問題もあるものですから、やはりさじ加減を図っていくしか規制の方法はないのかなということです。もっと言いますと、労災の予防法というのは、どうしても再発防止という性格を免れないのかなという気がしています。結局、労災防止などの活動を一生懸命にやっている会社の多くが、かつて健康や安全の面で痛い目に遭っているのです。

 

<ウーバーイーツ型プラットフォーム事業者への規制の具体的な姿>

 具体的な話を言いますと、ウーバーイーツのような業態に規制をかけるとすると、どのような規制のかけ方があり得るのでしょうか。

三柴 すでに経産省管轄で、デジタルプラットフォーム透明化法の内容を、もう少し発展させてワーカー一般が守られるようなものに、相乗りする形で規制を強化する土台がすでにできていますので、それがひとつの方法です。
 それから家内労働法です。この法律は元々、準労働法なのですが、厚労省管轄になっているので、これを改正してウーバーイーツ型にも対応できるようにする。ただ、昔できた法律なので、化学物質などの物の危険しか対象にしていないので、心理社会的リスクなどを対象に加えて、もう少し現代型に修正する必要性があることは、菅野先生も仰っているし、私も賛成です。
 あとは、中小企業協同組合法ですが、この法律はステークホルダーの話し合いを支援するような規制にきちんとなっているのです。加えて、中小企業団体が政治家に働きかけられるとまで書かれている特異な法律なので、これも修正次第でかなり使えると思います。
 ただし、デジタルプラットフォームが非常に巧妙なところは、結局はプラットフォームが責任を追求されたら、三者構造だから、自分の責任ではないと言い逃れできるようになっている。その意味では派遣と同じ構図なので、イギリスは、派遣の問題と同じように扱っています。HSEのWebサイトにはそのように書いてあります。三者構造をとると、要するにたらい回しができる、なんとなれば、客の責任まで追及するよということで、消費者の側がそれは困ると言い出すことまで、おそらく読んでいるのです。建設業界とは少し違うのですが、巧妙に仕組まれているぶんだけ規制は慎重に進めないと、思わぬ人に不利益を与えてしまう。それは起こりうると思います。

小島 しかし、お客さんが訴えられるとか巻き込まれるということは、ビジネス的には消費者を敵に回すことになってダメージは大きいのではないでしょうか。

三柴 それはやり方次第で、消費者と一緒になって規制に反対するという形に持っていけばいい。もうひとつだけ言わせてもらいますと、日本では、現段階ではギグワーカーがあまりかわいそうだと思われていないのです。したがってウーバーイーツ労働組合というのができて、東京の都労委に対して自分たちは労働組合だから運営会社に団体交渉に応じさせよといった申し立てを行って、昨年末に基本的に申し立てを認める旨の決定が出たのですが、労働組合には約30人しか集っていない。厚労省での「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」でも、プラットフォーム業界の代表の方が言っていたのですが、もともとは気軽に働けるサイドワークの感覚で始めた事業モデルなので、それでメシを食っていくという人を想定していなかったと言うのです。確かに学生でも経験を持っている人は多いのですが、サイドワーク感覚なのです。そうすると何が起こるかと言いますと、規制を強めた時に気軽に働けなくなる人が出てくる。ましてそれでメシを食いだした方からすると、建設でも同じなのですが、ワーカーの側から、あまり業界に圧力をかけないでくれという声が出てきます。労働組合などが業界を守れというようなことを言い出すということです。

 

<交通安全面の法規制は将来的にはできる予想はある>

小島 ウーバーイーツについては、むしろ危険な自転車やバイクの運転の仕方をして、地域や周りの人が非常に迷惑をしている、危険な思いをしているということで、むしろ何か行儀をよくさせろ、誰かが責任を持ってきちんと教育しろというような圧力の方が近い未来に起きてくるであろうし、そこの方に社会の期待があるのかなと思うのですが。

三柴 おそらく、まず行政としていち早く手を打ったのは、ウーバーイーツなどを想定して、安全課長名で交通安全に気をつけてという指導文書を出したのです(厚生労働省安全課長「自転車及び原動機付自転車を用いた飲食物のデリバリーにおける交通事故防止について」令和2年10月26日基安安発1026第2号別添)。これでプラットフォームに交通安全に気をつけさせる民事上の義務が確認されたと思います。このような指導文書が出なくても民事上の義務は認められるでしょうが、確認されたことにはなるでしょうし、これらを受けて、いちおう業界としての取り組みはやっているらしいのです。そのうえで業界の取り組みを超えて規制をかけるとすれば、おそらくこれからたぶん象徴的な事件が起きることで動くのではないかと私はみています。罪もないとても良い人がはねられて、などと新聞が書きたてるような事故が、おそらく生じると思います。そうなると社会問題化するので、何とかしなければいけないとなり、緩やかな規制ですが法律レベルのものがおそらくできる。少なくともトップレベルの拘束力のあるものができるのではないかと思っています。日本は、そうした起爆剤がないとなかなか動かない。

小島 ウーバーイーツの人に轢かれて死んでしまったが、個人を相手では…。

三柴 そうです、それではどうにもならないよねといった事件がたぶん起きる。また起きないと日本はたぶん動きません。

小島 自転車の運転に対する道交法の取り締まりの強化ということも、おそらく背景にはそういうことがあるのでしょう。

 

<政策実施のための団体をどうするかが課題>

彌冨 ウーバーイーツの自転車配達員ご自身の怪我も多くて、労災保険の特別加入が少し前に可能になったのですが、今企業で安全対策として行っているようなことをきちんとやりなさいということを社会的な圧力でやる方向に持っていこうとしている段階なのでしょうか。

三柴 安全衛生行政の基本的な方向性はそうです。ただ、一挙に全てとは思っていないでしょうし、現に難しいのは、政策をつくり実施しようと思うと団体が必要なのです。たとえばウーバーイーツで働く人たちが何らかの団体を創ってくれていれば、そこに話を通せば政策を実施できるのですが、先ほど申しあげたように自律的につくった人たちは約30人です。そうなると、教育をすると言ってもどこが履行を確保するかという話になります。業者側の団体はできているので、検討会にも意見聴取に招かれたのですが、教育を含め、労働法上の規制をかけられることにはかなり抵抗するでしょう。
 芸能業種については、私どもの学会の会員にもなって下さったのですが、俳優の森崎めぐみさんが音頭を取って、芸能業界の働き方をよくするための会(日本芸能従事者協会)をつくられて、結構な数の方が加入しているようなので、そういうところが委託者らに教育を行わせたり、自ら実施したりしてその費用も含めて請求できるようすることもできなくはありません。
 建設業については伝統的な産業で、一人親方はなかなか乗って来ないでしょうが、少なくとも元請けがかなり人の管理をしているので、元請け経由にすればかなり安全教育などが行き渡るのではないでしょうか。元請けから落ちてくる、流れてくる仕事がほしかったら一人親方も話をきけというような枠組みをつくってしまえば、かなりいけると思います。
 しかし、まだ業界が新しく成熟していないと、どこに政策をかければよいかが不明確な難しさがあります。

 今の団体というのは、どちらかと言えば労働者の団体という話ですが、業界団体や事業者団体で、「ウーバーイーツ」とか「出前館」などから「個人事業者等の安全衛生対策のあり方検討会」で、しっかり取り組んでいますという発表があったと思いますが、そういうものがそうした窓口になりえないのですか。

三柴 そこが微妙なところで、まずフリーランスの個人事業者だから労働組合なのか事業者団体なのかがよく分からないのですが、例えば中小企業協同組合法が想定しているのは、個人レベルの小さな事業者の団体ということです。これは具体的には中小企業団体中央会などを法規制で支えています。ほとんどは、へたすると労働者以上に立場の弱い方々の集まりなのですが、いちおう事業者団体として団体になっている。それが労働者性を主張して労働組合をつくったということであれば、たとえば全国建設業総連合(全建総連)のようなところは、おそらく一人親方系の人も入っているのではないかと思いますが、いずれにしても、看板は労働者でも事業者でもいいので、ワーカー側が自分たちの立場を擁護するための団体をつくってくれていないと、研修ひとつとっても、有効なものの実施を保障するような政策は、なかなか実施できない。プラットフォームなどの使う業者側の団体しかないと、そこを「保障」させにくいだろうと思います。

 

<ウーバーイーツ型働き方の労働衛生課題-アルゴリズム管理のプレッシャーの強さ>

彌冨 プラットフォームの労働者の労働衛生のリスクにはどのようなものがあるのかを考えると、先ほどのウーバーイーツの問題で言えば、運輸業であれば同じ業種の運輸業の職業上のリスクは持っていて、またITエンジニアであれば過重労働の問題であるとか、職種固有の労働衛生上のリスクは、プラットフォーム上の労働者も同じように存在すると思うのですが、本人のスキルの高低に加えて、それこそプラットフォームの構造上の問題としてアルゴリズムによる管理の強弱によってリスクも変化するので、リスクそのものが多様化してきていますね。

三柴 以前、厚労省の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」にウーバーイーツの労働者側の代表がきて、少なくとも業界で働いている人たちを代弁する立場の方がきていて、とにかく危ないし立場が弱いとずっとおっしゃるので、私の方で、運輸業で1人で働いている個人事業者と比べてウーバーイーツのワーカーは何がかわいそうなのかと尋ねましたら、デジタルプラットフォームで起きている問題も普通の運輸業で個人事業者として働いている人がさらされているリスクも、基本的には変らないということはまずお認めになっていました。認めたうえで、しかしオンラインを使いシステムで管理されていると、それだけごまかしがきかないと言いますか、そのぶんだけプレッシャーがかかるということも仰っていて、それはなるほどと思いました。というのは、海外でもそういう評価だからです。イギリスでウーバー等が訴えられて最高法院までいき、ウーバー等側が敗けた判例が出ている。要するにワーカーだから、年休とか最低賃金は保証しないとだめだという判決が出たのですが、その事件では、最高法院がデジタルプラットフォームは支配性が強いということを言ったのです。その前に控訴院がコアシブであるという表現を使っていまして、これは強迫的ということです。このように、プレッシャーが強いということは、海外の司法機関も認めているので、オンラインで管理するのは、人がどこか抜け目が生じつつ管理するのとはわけが違うということを象徴しているのだと思います。

彌冨 対人ではなくて対システムであることが、プレッシャーが強く、コアシブという表現をされたということですね。

小島 おそらくきわめて効率を追求されていると言いますか、完成度が高いと言いますか、めざしているものがそうなのだと思うのです。労働者であればお客さんにひどいことを言って怒らせてもすぐにクビにはならないし、そもそもバレない。しかしダイレクトにお客さんが苦情を言ったり配達が遅れたりというようなこともすべてモニターされて、パフォーマンスの結果がすべてダイレクトに反映されて、それが選別なりに使われる。それがさらに、誰かが判断するのではなく、アルゴリズムで自動的にコンピュータが判断するので、それさえもオートマティックにやられる。経営と言いますか事業としては、理想的に効率的で、そういう意味でまさに労使関係という文脈の非効率さを回避し、そこを飛ばして消費者と労働者を直接結びつけたビジネスモデルだと思うのです。おそらく、間に入る人がいなくなるのは、いなくなるためにそういうモデルにしているのであって、教育したり、肩代わりして責任を負うというようなコストも必要がなくなるので、当事者もいなくなっているということかなと思うのです。

 

<ルールメイクやブランドなどによっても支配されている>

 今日はウーバーイーツばかり出てくるのですが、「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」ではアマゾンの配送の話が出ていました。あれは象徴的でして、最初は荷物1個でいくらという契約だったのが、あなたたちにとっては1日単位の契約の方が得でしょうと、そちらの契約に変えて、今度は1日単位の契約で本当に効率的に回らないと回りきれないぐらい1日分で品物を割り当てられて、非常に拘束性が増したという事例などは典型的だと思います。

小島 何かそこは、ルールメイキングによってコントロールしている、支配していますよね。それからまさに消費者とワーカーを接触させるマッチングの機会を、まあ提供しているのですが、それを独占することでそれでもそこに依存させることでコントロールできている。したがって、普通でしたらあと出しジャンケンで大きく変更したら両サイドから責められそうなものなのにできてしまうというのは、やはり圧倒的なビジネス上の力を得ているのではないかと思います。先ほどのQB HOUSEのように、何かそこに信用が生み出されることに依存させて、そうではない人が参入できない、競争が制限される、ブランドや商標による独占という、まさに競争法と知財法がぶつかる面もあるなと思っていますが。

 

<高度に先鋭化された資本主義の中で改めて問い直す労働者保護の意味>

三柴 この問題について、ここまでは、どちらかと言いますと厚労省寄りの視点で議論が展開してきたのかもしれませんが、非常に冷めた見方をすると、「働かざる者は食うべからず」が、資本主義の基本であって、要は、サラリーマンとして人に縛られるのが嫌で自由に働きたいのに、労働者のように守ってもらいたいと言うのはわがままだというように言えば言えなくもないのです。例えば、アルゴリズム管理がオンライン管理だから抜け目がないと言っても、請負契約等の原則からすれば、よく仕事をしてくれた人に次の仕事を回すのは当り前のことなので、その原則まで変える気ですか、どこまでいったい社会主義にするつもりですかという話が業界から出てきたら、そこは傾聴すべきだと私は思っています。
 そうなると社会政策の役割というのはいったい何なのかという話に立ち戻るのですが、実のところ社会的弱者保護でメシを食ってきた人たちが本質的に言いたかったことは、要するに弱いけれど社会で救ってくれという話です。弱いということは、実力がないのにごまかすことにも通じるわけで、そういう人にも生き場所を与えてくれということですから、要するに鋭く追求すればするほど実は弱さが目立つのでしょうが、しかしそれでも救ってあげないと多くの人は生きていけない。たぶんそれが基本にあって、「死して屍拾う者なし」は、資本主義の基本なのですが、本当にそれを徹底したら多くの人が「おマンマを食上げ」になるのだということを実は浮き彫りにしているのではないかという気がしています。逆に言いますとそれぐらい、今はウーバーイーツでもアマゾンでも資本主義を先鋭化させた仕組みを作り出しているのだと思います。
 心理社会的リスクまで考えるとなると、そこまで救おうという政策を立てようとなると、そういう原理的な問題に踏み込まざるをえなくなると思っています。

 今言われていることは、先ほどの「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」の中の私の役割の領域はどこまでというのが本当に難しいと思っているということに行き着きますね。

三柴 実はそう思っています。先生の役割は非常に難しい。

 

<心理社会的リスクはコンセンサスで定まるので国によっても異なる>

 その部分はどのように考えればいいのでしょうか。先生が途中で少し出された「世の中のコンセンサス」なのでしょうか。どこにリスク保護の線を引くのでしょうか。

三柴 おっしゃるとおりだと思います。要は、心理社会的リスクの問題は、世の中が何をひどいと思うかということに通じています。ちょうど精神障害の労災認定の検討会にも参加しているのですが、あそこでの議論は、まさにそうです。要するにストレスの対象として労災と認めるものは、国によって違うのです。今、日本はパワハラの認定は多いのですが、アメリカは職域での大人のパワハラは人間関係の問題だから救わないのが基本です。最近は訴え方によってはパワハラもけっこう訴訟ネタになりますが、そうは言っても基本的には大人の喧嘩だという整理なのです。しかし、日本では、遂に「無視」まで含めて補償の対象になり得ると言い出しているので、これを進めすぎると上司は何もできないという話になってきますので、私は、そこは歯止めをかける役割も自認しているのです。いつも述べているのは、何をひどいとするかは、その国のコンセンサスでしかない。精神医学や産業医学でも色々と分析するが、統計学にもあまり意味はないのではないかということです。印象の見える化のようになってくる。

 喧々諤々のテーマにつながる。

 

<産業保健の立ち位置-産業医への期待の拡大のゆくえ>

小島 産業医の役割、期待として、また、その立ち位置は、今は事業主が雇用ないしは委託するという法的枠組みですが、公共の第三者がその役割を果たしている国もある。さらには、本学会誌で三柴先生が書かれている論文(「ギグワーカーの安全衛生に関する法的保護のあり方について—日本の状況と展望—」産業保健法学会誌第1巻第2号43-67頁)でも議論をされていますが、中小企業協同組合法上の協同組合が、あるいは、その中小企業協同組合法を使わないとしても労働組合が、顧問医なり、要は自分たちの用心棒なのか、コンサルタントなのか、そういう医師をしっかり持って経営側と交渉したり、個々の事案についての自分たちの主張をしたりするなり、労使関係への介入の質を高めるという意識を労働組合は持たれた方がいいのではないかなと、私は以前から思っているのですが、なかなかあまりそういう動きはないようです。したがって、そもそも職域における産業医学とはどういう立ち位置なのだろうというところも興味があるところでもあるのですが。

 今の話は、たとえばわれわれはメンタルヘルスの職場復帰の面談をしていて、一方的に職場はこのような配慮をしてくれと言うことはなく、配慮してくれという部分について働く側にもあなたは当然こういう努力はしなさいと諭すと言いますか、今はだいたいセットでやるような感じになっていて、それはもともと労使協調という分野にある産業保健としては、いちばんいい方法だとは思っています。しかし大手企業などのそれが成り立つ企業ではそういう産業保健が提供されていて、それが成り立たないところは、今は産業保健は提供されていない。そのような状況においては、今小島先生が言われたように違うやり方で、それが産業保健と言えるかどうか分かりませんが、もしわれわれが関わるとしたらそういう話はありうるかなと聞いていて思いました。

三柴 産業医という仕事の難しさだと思うのですが、今はある意味で伸び盛りだと思うのですが、伸びるタイミングでは色々な関係団体から、やはり医療界では医療を中心に産業保健を持って行こうとしますし、しかし、それだけでは会社では役立たないから企業側も一言言いたいだろう。ただ、たとえば医師会が色々言っても、おそらく日本経団連は何も言わないと思うのです。これは私個人の認識ですが、産業界として産業医にはこうあってほしいというビジョンがまだないのだと思います。そういう中で産業医大は、産業保健をもっとよくしたいと思っている方々が、企業規模を問わず本当に役に立つと思ってもらえるような産業医の仕事像をつくっていかないと、実質が育たず、だんだんと廃れてしまうということを大変危惧しています。

 

<産業保健のクォリティコントロールが最大の課題>

 ご心配いただいてありがとうございます。たとえば彌冨先生がいるSUMCOで、産業医が信頼されていない、期待されていないということはまったくないと思います。産業医に対する期待や信頼は、いい産業医と働いたことがあるかどうかにより、企業によってそこは非常にバラツキが大きいと思います。そのような信頼できる産業医と働いたことがない企業で産業医に期待しろというのは無理だという話になります。産業保健ニーズの拡大がややスピードが速すぎたと感じています。人材を育てるには時間がかかります。それに合わせて需要が大きくなっていくのならよかったのですが、きちんとした産業医が育つ以上に世の中の産業医の役割が急に拡大したことにより、産業医の質の問題が産業医の最大の課題になってしまっていることが危うくしているという認識で私はいます。
 産業医大は産業医大としてやり、卒業生を出す以外に方法はないので、段々にしか上がっていけないのですが、それなら学会としては何をやるかといった時に、やはり質の管理をするためには医師会と組むしかないのです。それも日本医師会と組むだけではなく都道府県医師会全体と組むしかないというように思っていて、松本先生が担当理事だった時に私との間で、全国医師会産業医部会協議会をやりましょうという、日本医師会と日本産業衛生学会の両方が主催者の形でやり始めたのですが、蓋を開けてみると都道府県医師会ごとに、まだバラツキが非常に多かったためにすぐには進みませんでした。日本産業衛生学会では、会員が各都道府県医師会でどのように関わっているかを調査して、現状は把握しています。次のステージに行けないところで止まっているのが今の状態です。
 ただ今回の「産業保健あり方検討会」の話と平行して、これをきちんと動かすようにしないと、産業医のクォリティコントロールの問題は、本当に危ういという話になるというのが私の認識です。

三柴 もしまちがっていたらご指摘いただきたいのですが、今は日本医師会を中心に10万人ほどの産業医資格の認定を出していますが、その内に実働しているのは3万人ほどで、その中で産業医を専業としている先生が1,000人超ぐらいで、少しずつ増えてきている。その中でこれは私の勝手な認識なのですが、企業から頼りにされているであろう方は、またその3割という感じではないかなと思っています(専業産業医でなくても頼りにされている方々は多くおられると承知していますが)。産業医大も輩出できる質量を増やすのはなかなか難しいから、そういう中で少しずつ脈絡が育ってきているというのが実質ではないかと思っていて、産業医を対象に何か調査をしても、森先生の周辺には、森先生が育てられた方など、先生周辺の方々は意識も実力もお持ちの方が多い印象ですが、しかしまだまだ大多数の方がたのクォリティコントロールは非常に難題で、先に形はつくったけれども実質がついてきていないということではないかなと思いますが、多くの産業人はその大多数と向き合うから、産業界全体としての産業医に対する印象はきついのではないかと私は見ています。

 産業医のバラツキよりもおそらく看護職のバラツキの方が大きいでしょうから、看護職の活用は重要ですが、かといって看護職を入れて連携をしても、クォリティコントロールに関しては、バラツキがさらに大きくなってより難しくなると思います。

三柴 それもよく聞きます。保健師などの産業看護職をただ制度上引き上げればいいというものではないなとも思っています。ただ言えるとすれば、産業保健などの予防に打って出るということは、本質的にゼネラリストに近づくので、その意味では、極論ですが、クオリティが芳しくない方々とも付き合う力は必要かなと思います。付き合うか、いなすかでしょうが、いずれにせよ対面はするので、それもそのスキルのひとつかなと思っています。

 彌冨先生、これでだいたい予定の時間まできましたが。

彌冨 ありがとうございます。

 当初の目的と異なる「産業保健あり方検討会」の方向に行ってしまいましたが。

彌冨 小島先生、最後に何かございますか。

小島 本質的な色々な問題が集約されている話題だったのだろうと思います。そういう意味では、安全とか健康が脅かされて社会問題になった時に、産業保健に限らず、それが日本の規制や監督の仕方の弱点なのだろうと思いますが、プレイヤーがいないということが、おそらく露呈してくるのだと思います。その時に誰がそれをやるのかというのは、責任論から始まってはいるのですが、ビジネスチャンスかもしれませんし、逆にそのぐらいの意欲で考えていかないといけない。ニーズがあるのだから、クリエイティブなことを始める場になるかもしれない。リスクがあり、それをコントロールする、そこにニーズがあるというようにも考えることができるということなのかなと、ぼやっと感じていました。

彌冨 ありがとうございます。三柴先生には、今日は本当に長時間にわたりお話しいただき、非常に勉強になりました。
 最後に締めのお言葉をいただきたいと思うのですが、よろしくお願いいたします。

三柴 恐縮です。むしろ私の方こそ話しすぎてしまって申しわけございませんでしたが、先生方と対論ができたことをありがたく思っていますということと、一方で最後にということでしたら、もしかしたらお節介な政策について、われわれは考えているのかもしれないと悩みつつも、ただそこに本当に救うべき存在がいれば、専門は違っても手を差し伸べていく努力を続けていく責務があると思いますので、難しい課題ですが、話し合い自体が大変な価値だと思っています。以上です。

彌冨 ありがとうございました。2時間にわたり先生方にお話をしていただきました。これで今回の「喧々諤々」は終了したいと思います。長時間お疲れさまでした。

 

以上

 

岡田俊宏先生(日本労働弁護団常任幹事  弁護士)のコメント

「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用【前編】