日本産業法学会 広報誌「喧々諤々」第2回インタビュー【前編】(広報 on HP)

日本産業保健法学会 広報誌「喧々諤々」インタビュー
第2回「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用

日時  令和5年1月13日15時~17時
参加者 三柴 丈典 (近畿大学法学部 教授)
聞き手 森 晃爾(産業医科大学産業生態学研究所 教授)
    彌冨 美奈子(株式会社SUMCO 統括産業医)
    小島 健一(鳥飼総合法律事務所 弁護士)

 

「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用【前編】

<はじめに ――  議論の進め方について>

彌冨 本日は、三柴先生が提唱しておられる「リスク創設者管理責任論」という視点から、個人事業者とされている方々の安全衛生について議論してみようということでお集りいただいたのですが、進め方はどういたしましょうか。

 個人事業者の安全衛生をテーマにすると、話題が広すぎると思いました。厚生労働省の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」に出ていても、業種によってあまりにも違うので、それを広く検討しても何かぼやけてしまう。「リスク創設者管理責任論」という言葉は、その検討会の中で、三柴先生の発言の中に時々出てくるものです。そこで、そこにまず中心テーマを置くことによって、通常の労働安全衛生法の労使関係でできないようなことを、この概念を入れることによって議論できるように思います。これは労働安全衛生法の方でやるのか、民事でやるのかも、私もよく分からないのですが、そのような可能性を議論するのがいいかなと思っています。
 その理論自体もネットで調べてもあまりはっきりしたものは出てこず、要は三柴先生の頭の中にあるようなものなので、まずは三柴先生に、その概念について一度どういうものなのかを説明してもらい、諸外国でも、そういう概念で少しずつ新しい雇用類似形態の中で法令強化するような例もあるようなので、そのあたりも含めて三柴先生に最初に説明をしてもらうのがいいかなと思っています。

彌冨 ありがとうございます。小島先生、三柴先生、今日はよろしくお願いいたします。

 今回は、私も「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」に出て、業種や立場によって、概念が相当に幅広く、状況も違っていて、それを一括りで議論をしても拡散するだけかなという思いもあり、一方で多くの部分を、リスクは誰が産み出したのだという部分でとらえ直すとかなりの部分が整理できました。それは労働安全衛生法の労使関係の中ですべて盛り込めるかどうかは分からないのですが、それはかなり難しいのでしょうが、民事も含めて、その概念をしっかりとらえて対策を立てることにより、今の新しい雇用類似の形態も含めて色々なことを整理することができ、そのことを前提に、産業保健法に関わるような人たちの行動の基盤にできるのではないかということを少し感じています。ただ一方で、「リスク創設者管理責任論」というのは、どこかに本がありそこに書かれているようなものではないので、一回、その考え方とはどういうものなのかということを三柴先生にお話いただいたうえで、それが現実の場面でわれわれはどのようにやることができるかといった議論をするのがいちばん建設的かなと思いました。

三柴 ありがとうございます。うまく話せるかどうかは分からないのですが、私の雑駁な認識からですが、お伝えできればと思います。

 

<ウーバーイーツを例にみるプラットフォームの生み出すリスク>

小島 三柴先生のリスク創設者管理責任原則については、三柴先生が個人事業者のことについて書いたものは私も少し読ませていただきましたので、いきなりですが、まず私から伺いたいことを最初にザクッと申しあげてしまいます。
 ウーバーイーツなどのプラットフォーム事業者は、極論すれば、法律関係としては、雇用どころか、業務委託とさえ構成する必要はなくなります。配達業務を個人事業者に委託しているのは、注文する一般消費者であるとするか、あるいは飲食店の方だというように寄せてしまい、プラットフォームは、ただ出会いの場を提供し、そのルールを仕切るだけにして、配達する個人事業者の個々の行動については指揮・命令や指図などを限りなく薄くするようにしてしまうと、プラットフォームの契約責任は限りなく希薄にすることができてしまいます。ただ、影響力の行使の仕方として、ルールの設定やそこに参加させるかどうかという一方的な選択権を持つことで、要はその場を仕切ることにより、事実上はそれに従わないと参加できず、排除されるということで、圧倒的な支配力を持つ事業者というものが、インターネットやWebを通じて可能になってしまった。そういう事業システムのもとで、個人事業者が無茶な長時間労働をしたり、危険な運転をしたりして、働く本人は勿論、周りにいる一般人にも危険を及ぼすような働き方が起きているような時に、プラットフォーム事業者が産み出しているリスクというのはどういうもので、それを産み出している責任をどう果たさせるか、またそれを通じてプラットフォーム事業者に安全管理のマネジメントをさせるべきだという法政策と言いますか、法理論は、三柴先生が言われるリスクというものを起点にしてすべてを考えようとすることで、プラットフォーム事業者のやるべきこと、責任を負うべきことは、理論化しうると思うのですが、そこで考えているリスクとは何か、そのリスクをコントロールしろと言っても、非常に間接的で、個々に働く人の選択や行動というものが絡んできて、ダイレクトに「ああしろ、こうしろ」と言う場面は個々には薄いのではないか。理論的には、今までのタイプとは極端に違うので、何か難しい面があるのではないか、ということをひとつ思っています。

 

<新しい就労形態と相まって多様化するリスク>

小島 それからもうひとつ、そこで発生させているリスクの性格というものですが、工場に有害物質があって、そこで働かせるといったダイレクトなものではなく、生活習慣病やメンタルヘルスへとどんどん拡がっていったり、あるいは、お客さんなどの第三者との関係でカスタマーハラスメントを受けたりといったことへ、またそれが拡がっていくと、リスクの性格についても、そういった拡がりの難しさや新しさなどもあるのかなと思っています。可能性を感じつつも、今まではなかった2つの方向に拡がっているのかなと感じています。
 ただ、リスクの性格が拡がっているということは、これは個人事業者だけではなく、雇用関係の使用者のもとでのリスクマネジメントとして、すでに拡がっていたとも言えます。たとえば、テレワークになって、家の中での働き方までリスクや労災として考えなければいけなくなっているといったことです。

森 私の認識では、リスク創設者管理責任の話は、まず根本があり、そのひとつの適用形態が、プラットフォームなのですが、それ以外にも何かたくさんありそうな感じがするのです。たとえば機械の設計創造者と、実際に機械を設置する段階で何らかの加工をして、また要望により安全装置をはずして売りますといったような話も含めて実はたくさんあり、一度その根本の概念を理解したうえで、今の労働安全衛生とか新しい雇用形態、就労形態などの色々なことがある時に、どのようなことに応用できるかについて議論する。併せて、小島先生が言われたように自己選択、自己責任の部分との接点がけっこう色々なところで出てくるので、それも含めて喧々諤々になればいいと思っています。これは、座談会とかインタビューというよりは、一度、三柴先生にそこを解説してもらい、色々なことを喧々諤々とやってそれを最終的にまとめる形がいちばんいいかなと思っているのですが。

 

<「リスク創設者管理責任負担原則」とはどういうものか>

三柴 分かりました。それならば、まず私の認識を最初に簡単にお話をいたします。それを踏まえていただき喧々諤々の議論をしていくという手順でよろしいですか。
 早速、画面共有をさせていただきます(資料1)。まず「リスク創設者管理責任負担原則」という、私なりに整理して打ち出した理論なのですが、それが今までに増して必要になってきている。その背景ですが、今、森先生が言われたように労働安全衛生の分野では、事業場単位で法規制がされているのですが、以前から事業場ではリスクを防げない事例が多々ありました。それは、危ない機械を事業場に製造販売している業者もそうですし、そもそもハザードもリスクもよく分からない化学物質を製造したり輸入したり、あるいは混合したりして事業場に提供している者もそうですし、建設業界においては設計者や発注者が、実は危ない条件で、こういう工事を設計したり発注したりすれば災害が起きるでしょうというような場合もそうですし、要するに労働安全衛生の分野では、職域では対応がうまくできない問題が多々あったわけです。
 したがって1972年に労働安全衛生法をつくった時に、あるいはその直前にできた労災防止団体法で、そういう問題に、労使関係を離れてもう少しアプローチしていこうということにしたわけです。典型的には重層的な請負構造で働く建設業界、造船業などの業界において、自分も仕事をやるので仕事上のリスクについても事情が分かっているはずの元方と言われる業者であって、工事遂行上のピラミッドの頂点に立っていて、仕事を取ってきて、諸々の指示をする人たちに、自分の会社の社員でなくても同じ場所で一体的に工事をする人たちの安全管理をさせようということにしたわけです。このように、以前から労災防止に有効だとわかっていた管理方法を含め、経営工学の考え方(管理体制づくり、情報共有など)を法律に取り込んだわけです。
 機械安全やその他については、実は今の労働安全衛生法の前に検査制度が創られていましたから、要するに安全が保証された機械でなければ流通させないという仕組みは以前からあったのです。しかし、より現行安衛法の制定をもって本格的に経営工学などの考え方が採り入れられ、綿密な再発防止策の基準化と共に安全衛生管理体制の整備が図られ、そのお陰で労災がかなり減ったという経過がありました。
 しかし、法規制というのはどうしてもスピードが遅れますので、現場はどんどん逃げ道を考えますし、法規制があっても無視をしますし、そういうことで絶えない労災も多くありました。たとえば建設業界では、伝統的に「1人親方」という流しの職人がおりまして、大規模な工事ですと6次下請けや7次下請けといったところは、そうした方がほとんど労働者のように働かされる実態もあったのですが、個人事業者という扱いをされてきました。
 今の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」では、この人たちを誰に管理させるのかということで、建設業界の委員と私含め多くの委員の見解が食い違っているというぐらい、伝統的な問題です。建設業界の慣習としては、こういう人たちは「怪我と弁当は手前持ち」ということで、好きなように働かせ、そこそこのお金を払って、そのかわり労災が起きても、せいぜい見舞金程度で、それ以上の責任は負わないということにしてきました。
 そういう慣習がいいかどうかが、今改めて問われているわけです。と言いますのは、ご案内だとは思いますが、つい最近、建設アスベスト訴訟というものが全国のあちこちで起こされ、その内のひとつの訴訟の最高裁判決で「1人親方」と言えども労働者と同じようにアスベストの問題で安全管理をしないといけない、そこの規制を怠っていた国に責任がある、きちんとルールを作り、そういう人たちの安全管理を進めなかったことについて国に責任があるという判決が出ました。裁判は訴えられたネタしか扱えないので、判決では、アスベスト対策としてのリスクの共有や保護具を着けさせるなどについて「1人親方」の安全も守られるような規制を創らなければいけなかったということしか、直接は言っていないのですが、先ずはそれに応じた規則改正がなされ、しかしもっと応用がきく話ではないかということで、その判決がきっかけになり、今、厚労省でやっている「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」になったのです。
 その「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」では最高裁判決で直接言及された建設安全の問題以外に、他業種、運送業、ITフリーランスや俳優など色々あるのですが、そうしたところのフリーランスの安全衛生をどうするか、又、ギグワークのような、先ほど小島先生が言われたように、どこにも雇用関係がない、誰も責任を取らない時にプラットフォームにどうやって管理させるかというような問題も一緒に話し合おう、さらに言えば、森先生に「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」にお入りいただいている行政側の意図のひとつだと思うのですが、産業保健、とくにメンタルや過重労働対策についてもこの際にフリーランスなどの保護を図れないか、などが考えられているのです。そうすると、今、考えなければいけないことは、保護の対象者をどこまで拡げるかという問題と、もうひとつは保護のレベルをどこまで上げるかという問題です。
 先ほど森先生が言われたように健康の問題、というのは、考えようによっては自己責任ではないか、また、規制される側も保護される側も余計なお世話だということも、ものによってはあるものですから、一律にただ基準を守ればいいというような安全対策と同じような発想ではいかないのです。したがって、もう一度言いますと、どこまで保護の対象を拡げるかという問題と、どこまで保護の水準を上げるかという2つの問題が検討課題になっているということです。前者については、おもにフリーランス、個人事業者等が保護の対象として適当かどうかが検討課題になっているのですが、まず彼らを労働者だと言えてしまえば、かなり多くの問題が片づくことは事実です。つまり労働法の適用対象だと言えればいいという話なのですが、労働法の代表である労働基準法上の労働者は、学者の整理によれば3つの条件を満たすということ、判例の整理によれば資料1にあるような8個の要素を総合考慮することで判断をするというようにされてきたのです。法律条文自体はシンプルな定め方で、労基法9条で「「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」となっていて抽象的ですが、大雑把に言いますと、「相手に縛られて給料を払われている者」が労働者だという基準です。
 これを学者が理論的に整理したのですが、ひとつは①経済的従属性です。そこから仕事をもらってメシを食っているから、言うことを聞かざるをえないということです。
 それから②人的従属性です。これは労働契約の性格そのものなのですが、要するに人として相手に縛られているということです。契約の性格上も、言われたことは聞かなければいけないということです。他の契約と違い、労働契約に限っては、人として縛られる代わりに給料をもらうということです。請負契約などとの最大の違いは、実は成果を挙げなくても必ずしも契約違反とは言えないのです。たとえばタクシーの運転手でも、雇われている場合は、客が1人も乗らなくても賃金は払われなければいけないというのが労働契約なのです。縛られているからお金をもらうということなのです。人的従属性というのはそういうことです。
 ③組織的従属性というのは、組織に組み込まれるから秩序に縛られる、不自由になるということです。こういう要素があるから労働者というのは労基法で守らなければいけないのだということにしてきたのです。
 メジャーな労働法の1つに労働組合法という法律があります。ここでは労基法よりももう少し保護される労働者の範囲が広くなります。ほとんどの基準は変らないのですが、「顕著な事業者性」という概念がありまして、要するに自分の財布で事業を営んでいるかということです。つまり事業で儲ければそのぶん儲かり、損した分は自分が損をするとか、仕事の道具を自分で用意しているということで、そこを強い判断基準として、他の基準については労基法の場合より緩やかに考えていくというのが、労働組合法における労働者の考え方です。
 たとえば「セブンイレブン」などのコンビニの店長が労働組合などを作り本部と闘うということが許されるのかという問題が起きたのですが、彼らは「24時間営業をしろ」などと色々縛られてはいるが、しかし自分の財布で事業を営んでいることは事実なので、さすがに労働組合法でも対象にはならないとなったのですが、労働組合法は、そこを強調することによって、要するに労働者階級の人を広く救おうとしている。たまには自営業などをやるにしても、おもに労働者としてメシを食っている人はなるべく労働組合を作らせてあげよう、守ってあげようという発想に立っています。したがって労基法よりも守られる労働者がもう少し広いということになります。
 このうち労基法上の労働者について、裁判例ではどのような判断基準を示してきたかと言いますと、「新宿労基署長事件」というのが代表的な例です。これは映画撮影技師が仕事中にケガをしたので労災申請をしたら、あなたは労働者ではないから補償はされないと言われ、それでもめたというケースです。判決は資料1にあるような8の判断基準を示したのです。これらは要件ではないので、全部充たす必要はありません。要するに全体をざっとみてどちら寄りかということを考えてほしいという基準です。
 まずひとつ目は、指示が出ているかどうかです(①業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容)。とくに仕事のやり方に口を挟まられているかです。それから、支払われている報酬が定期日に定額払いになっているかどうかです(②支払われる報酬の性格・額)。そうなっていると労働者っぽいということになります。それから指示された仕事を断れるかどうかです(③使用者とされる者と労働者との間の具体的な仕事の遂行上の指示等に対する諾否の自由の有無)。断れなければ労働者っぽいということです。それから時間や場所を拘束されているかどうか(④時間的および場所的拘束性の有無・程度)で、拘束されていれば労働者っぽいということになります。それから一身専属性というのですが、たとえば今日は風邪を引いたので私の代わりにこの人を働かせてくださいというようなことができるかどうかということなのですが、その人でなければできないということになると労働者っぽい(⑤労務提供の代替性の有無)。それから仕事の道具を提供されているかです(⑥業務用機材の機械・器具の負担関係)。提供されていれば労働者っぽいということです。自分のものを使うのは労働者っぽくないです。それから「⑦専属性の程度」です。そこからしか仕事をもらっていないかどうかです。これもあちこちで働いているとなると労働者っぽくはありません。それから服務規律の適用を受けているかどうかです(⑧使用者の服務規律の適用の有無)。これも受けていると労働者っぽくなります。それから税金や社会保険の負担をどこが持っているかです(⑨公租などの公的負担関係)。使用者が負担していると労働者っぽいということになり、本人が持っていれば自営業者っぽくなるということです。「⑩その他諸般の事情」を合わせ、これらを総合的に考慮して決定するということになっています。
 こういう基準が示されていまして、別途行政も報告書を出しているのですが、だいたいは似たようなことを言っています。いずれにせよ、この判例の基準の方が、学者の整理よりもより実務的だろうと思います。
 ところでウーバーなのですが、日本の場合はウーバーイーツがメジャーです。海外の場合はウーバーであったり、デリバルーという会社であったり、そういうところが勢力を誇っているのですが、人を使うモデルが非常によく練られています。今お示ししたわりに実務向きの裁判例の基準に照らした時にも、きちんと雇用責任を回避できるようになっているのです。仕事のやり方には口をはさまれません。報酬は成果の分だけ払われます。仕事は断れるかと言えば断れます。たしかにアルゴリズム管理ということで、要請にうまく応えて仕事をやれば次の仕事がくる仕組みです。オンラインで業務管理されているので、プレッシャーはかかるのですが、だからと言って仕事を受けるかどうかは本人の自由という原則は変っていません。さらに時間的、場所的拘束はほぼない。また、おそらく登録者しかその仕事はできないという縛りはかけているだろうと思いますが、本来的には、本人の代わりに誰か働かせても、品物が届けられればいい、結果を出せばよいという考え方ではないかと思います。それから商売道具は自転車にせよバイクにせよワーカー本人のものです。専属性はべつにありません。ウーバーイーツ以外で働いてもかまいません。服務規律などの縛りは殆どないでしょうし、税金も社保も本人負担です。
 したがって、上手に労働者と判断されないようになっているのです。プラットフォームが間に入るのですが、ここは要するに、お客さんから注文を取って、ギグワーカーに対して仕事を発注しているだけで、どこにも雇用関係にはないという仕組みにしている。要するに本来は、ワーカーが直接仕事を取ってくればいいものを、間に入ってマッチングと紹介をしているだけだという構図を作っている。

 

<世界的にも問題視され、人の働かせ方を公開させ透明性を持たせる動きもある>

彌冨 三柴先生、先ほどアルゴリズムによる管理ということを言われましたが、たとえばスペインのライダー法は、配達員の法的代理人にアルゴリズムの仕組みを伝えることを義務づけるという、アルゴリズムの透明性について何らかの判断をしていたりするのですが、アルゴリズムのブラックボックス化というのは、実際には、プラットフォームの管理者と配達員との強弱の関係が、見えないだけに余計についてしまうように感じてしまうのですが、その点はいかがでしょうか。

三柴 そのあたりはまたもう少し後でお話ししたいと思うのですが、現時点で応答をさせていただきますと、ウーバーイーツ型の働かせ方は、日本だけではなく国際的に拡散しているために色々な国で色々な対応が図られているのです。きれいに普通の労働者と同じ扱いにすべきと言っている国は見たことがないのですが、今、言及されたスペインのライダー法のように、事業のやり方、人の働かせ方等を透明化せよ、どうやって人を働かせているか等の基準を公開せよという法律を作ったところもあります。
 日本も似たような法律を作ったのです。共同規制というのですが、指定業者を行政が決めて、事業のやり方、人の働かせ方等を報告書にまとめて公開させるという規制をしています。これは令和2年にできたばかりです。このように、取引相手個人をきれいに労働者として守れという規制までは、さすがに資本主義社会ではしにくいですが、しかし中間的な方法では規制すると言いますか、できるところまでは規制するというやり方が海外でも日本でも取られ始めているということは言えます。

 

<産業構造の変動とともに強まる工場法以来の労働法の適用逃れ>

三柴 話を戻します。現状でも、きれいに労働者だという整理ができれば、かなり守られるのです。労働安全衛生法は、元々労基法から分かれてできたという経過があるので、労働基準法上、労働者だと言えれば、労働安全衛生法が適用されてきれいに守られます。また、先ほど建設アスベスト訴訟での最高裁判決を紹介したように、労基法よりも労働安全衛生法の方が守らなければいけない人も、守る対象も広いことになっています。労基法から分かれて労働安全衛生法が独自に発達した結果、職場の対策だけではどうにもならないということ、さらに社外工や派遣労働者なども人命は同じように尊いということなどから、自分が雇用する労働者だけを守っていればいいのではない、外部の労働者なども守ってあげなさいという規制になっていますし、守るべき人は使用者だけではありません。経営トップや法人を指す「事業者」を基本的な義務の主体として、それだけではなくて、機械をつくる人や売る人、化学物質についてもそういう人たちも広く規制の対象にしてきました。くどいのですが、労働安全衛生法は、もともとは労基法のお腹から産まれた法律なのですが、労基法よりも規制の対象が広くなっています。
 昔から労働法の適用逃れというのは、建設業の1人親方を含めて伝統的にありましたが、産業構造の移り変わりで、このところ、自宅で働く人などが増えてきたり、企業が経営のスリム化を図るために雇用責任逃れの動きを進めてきた等、色々な背景があって、改めて労働保護の適用範囲の再考が迫られている。歴史を辿りますと、工場法が日本最初の労働法と言われていますが、もっと古くからあったという歴史学者もいるのですが、とにかくその工場法の内容を見ると、実質的には労働安全衛生法だったのです。基本的に子どもとか女性を守ろうとした法律なのですが、この法律ができたので、一定数の工場主が内職を流行らせたのです。工場で働かせるのをやめて女性や子どもを家で働かせたのです。原材料などを届けて製品を返送させて、請負工賃を払うという形をとり始めたのです。そうしましたら「ヘップサンダル事件」というのが起きたのです。オードリー・ヘップバーンが履いていて日本で大流行したヘップサンダルですが、そのラバーを着ける時に使う化学物質で中毒が起こったことも大きな要因となり、家内労働法という法律ができることになったのです。ただ、形としては請負契約の人たちですから、労働法の適用かどうかということがそもそも議論をされて、結論的には、労働基準監督署が監督できる法律ながら、「緩やかな指導」しかできない法律になったといった経過もありました。
 いずれにせよ、昔からそういった雇用責任逃れの動きはあったのですが、昨今は、改めてその動きが激しくなっている。その背景には、企業が苦しくて雇用責任逃れを進めたということもあるでしょうが、やはり産業構造が変ってきていることが非常に大きい。昨今の例としてもうひとつだけ言いますと、QB HOUSEというのはご存じですか。駅のホームなどにあって、安いので私も時々使うのですが、1,000円ちょっとで10分や20分で髪を切ってくれるのです。あのQB HOUSEも新聞記事になりました。と言いますのは、ウーバーイーツと同じようなことをやったからです。つまりあそこで働いているスタッフは、QB HOUSEに直接雇われていなくて、QB HOUSEは自分の名前を有名(ブランド)にして、エリアマネージャーに業務委託をするのです。エリアマネージャーすら雇ってはいないのです。この業務委託されたエリアマネージャーがスタッフを直接雇うという形をとっていて、いわばトカゲの尻尾切りなのです。このスタッフは、QB HOUSEのスタッフだと名乗れるのですが、実際にはQB HOUSEの社員ではないから、個人事業主に雇われているだけなので社保には入っていない、福利厚生はゼロ、有給休暇は取れないとか、未払賃金があるとかなどで、まともに労働法も守られないというかっこうになっているそうです。これは、ウーバーイーツほど手は込んでいないのですが、似たような手法なのです。
 こうやってどんどん、産業構造が高度化し、ITやAIと共に働くスタイルが進む中で、製造業のように人を大切にする必要もなくなり、人はどんどん入れ替わりますので、なおさらに、こういう方法で雇用責任を免れる動きがどんどん加速しています。

 

<保護の対象と水準の2課題を考える ―― 海外(英・豪)では

 こういうことに対応しようということが今、迫られているのですが、話を元に戻しますと、今現在、保護の対象を今までの労働法の労使関係という視点から拡げなければいけないということと、健康にまで規制が手を伸ばしていますから、保護の水準を上げなければいけないという2つの課題が生じている。
 海外がどうしているかということですが、厚労省の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方検討会」でも私の方で紹介させていだいたのが、イギリスとオーストラリアの制度でした。オーストラリアが、今は世界でいちばん進んだ動きをとっていると思います。とくに安全衛生については、2011年に Work Health and Safety Actというものを示しました。これはモデル法律で、向こうは州で法律の管轄が違うものですから、連邦では法律のモデルを示して、それを採用するかどうかは各州に委ねているのです。現在、1州を除き全ての州で採用されています。
 いずれにせよ、モデル法をつくり、「Work」という言葉を最初に付けたことに象徴されるように、「labor」でもない「employee」でもなく、要するに雇用契約で雇われていなくても、事業者に協力する形で働いている、関与するという形が認められればすべて守っていくという形にして、責任を負う人は PCBU(person conducting a business or undertaking )と言いまして、事業を営んでいる人は全部という形にしています。非常に幅が広いリスク管理の法律を定めたわけです。
 この法律ができた背景ですが、もともとオーストラリアの法律はイギリスの法律の趣旨をまねたのです。これは業界の方には有名ですが、イギリスでは法律をつくる前にローベンス報告というものが出ました。このローベンス報告に法律の骨格が全部書かれていたわけです。イギリスは大規模な労災で痛い目にあった国なので、つまり国として痛い目にあった経験があるので、安全衛生を本格的に進めようと腰を据えて、本腰を入れてローベンスという学者に起案を任せて、それで出てきた報告書の骨子をほとんどそのまま法律にしたのです。まさにそこにリスクを創る人、リスクを管理できる人が管理責任を負えという理念がはっきりと書かれて、さらに内容的にも安全と衛生と健康(welfare)までを全部、事業者の責任で確保せよというハイレベルな要求が書かれたのです。そういう内容なので、本来、時代が進んでも適応するはずなのです。従属的な自営業者も守れるし、現にずっと守っても当然という内容でした。それをオーストラリアは受け継いで旧法をつくったのですが、それでもうまくかなかったので、2011年にさらにパワーアップしたものをつくったのです。こうして、非常に適用範囲が広いし、保護の水準も高い法律をつくったので、ほとんどの問題はカバーできるのですが、私どもの学会にも協力していただいている、法案づくりにも大きな影響を及ぼしたリチャード・ジョンストンという法学者に言わせると、それでもプラットフォームへの適用が難しいらしいです。それだけ上手に構造がつくられているからです。1人親方などへの適用にはまったく問題ありません。建設の設計者や発注者などの人への規制にも殆ど問題はありません。化学物質の製造者、輸入者などもカバーできる内容です。ただ エンフォースメント(enforcement)、実際の法律を守らせるところが難しく、そこが難しいので規制をどんどん強めてきているとも言えるでしょう。
 日本の場合は、たとえば建設業でも、とくに大手のゼネコンはかなり一生懸命にやっているのです。それで現場の安全を保っている。さらに日本の場合はまだ労働者のお行儀がいい。教育水準が高くてみんなが言うことをよくきくのです。自分たちで安全を何とかしていこうという「ゼロ災運動」などを進められる国なのです。海外の場合はそれが簡単にはできないのです。したがって、どんどんと規制を強化していくということになります。規制が洗練されている国ほど実態がよくないという面もあると思います。

 

<海外に通用しない日本の法律 ―― soft law(柔軟な法)の日本の事情>

 最後に日本の話しですが、そういう中で日本はどうしていくかということです。私どもの学会でも海外向けジャーナルを出すことにしたのですが、海外の学者と話し合っていてもはっきりとつかめるのは、日本ではあまり国際的に通用するような法律はできない。日本では国際的に参考にしてもらえるような法律はできにくい。したがって、日本から法律の海外向けジャーナルを出すことは、まちがっているかもしれない。労働法でも、要するに労使関係が、必ずしも海外のように喧嘩ではないのです。
 使用者は何とか労働者を守ってやろう、ご飯を食べられるようにしてやろうと思っていますし、労災は起こしたくないと本当に思っていますし、労働者の側も頑張ればある程度出世するだろうという前提での会社との一体感、あるいは会社の中の自分の所属組織、所属部署と一体感を持っていたりするのです。普通のサラリーマン社長の場合は、新入社員の10倍ぐらいしか年収がないのです。組織との一体感の方が重要な国なので、そういう国では、厳しい規制をつくって上から守れとやるよりは、自律的に動いていく現場の文化を大事にするというやり方のほうがうまくいく。soft law(柔軟な法)というのですが、非常に洗練された厳しい法律をつくり、逃げ場をなくすように規制を拡げていくというやり方ではなくて、みんなを誘導するようなルール、ガイドラインや、法律でも手続きや体制を書くようにした方がうまくいくという発想でここまできたのです。したがってそれを海外に説明しようとしても簡単には伝わらないのです。そういう中でも、象徴的なひどい事件が起きると一歩一歩規制の強化をする。とりあえずガイドラインで理想的なことを書いておく。海外では法律の中身を、日本ではとりあえずガイドラインにしておくのです。そして、悪辣なことをやる事業者が出てきたらガイドラインに書いておいたことを法律に格上げするのです。そういう形でネットを張っておくのです。準備をしておくのです。大阪冬の陣、夏の陣のようなものです。冬の陣でガイドラインをつくっておいて、夏の陣で法律に格上げする。そういうやり方をずっと踏襲してきたのです。したがって今回もおそらくそうなるだろうと思っています。

 

<業種による規制ではなくリスクの種類により規制を考えることがポイント>

 それではどこに規制のポイントを置くかということですが、結局、リスク管理は強化しなければいけない。リスク創出者管理責任の原則は、もう少し強めなければいけないと思います。そのことはずっと言っているのです。
 その際、業種ごとの規制というのが、今までの労働安全衛生法の基本でした。製造業、造船業を筆頭に運輸業など労災が起こりそうなところがあるので、そこは従業員が何人以上いたらこういう人を置きなさいとか、こういう基準を守りなさいとか、だいたいはそういうようにやってきたのですが、そうではなくて、もう色々な産業が生まれてくるので、そもそもパン屋でパンを作っていたら製造業なのですか、販売業なのですかというような話しにもなるので、業種で規制を分けるのではなく、リスクの種類によって考える。リスクの種類というのは、ものの危険があるのか、作業の危険があるのか、有害物に危険があるのか、そうしたリスクの種類によって規制の内容を分ける。業種で分けてももうあまり意味がなくなってきている時代状況ですから、そこはオーストラリアもやっているので、そういう方法をとった方が収まりがいいのではないかと思っています。日本はsoft law(柔軟な法)なのであまりきつい規制をいきなり書けるとは、私も考えていないし、行政もそこまで考えていないと思います。きついものをいきなり出すとは考えていないでしょう。今回もガイドラインを中心にと思っていると思います。しかし、今までよりは規制の範囲を拡げなければいけないのと、水準を高めなければいけないのと、規制の仕方、やり方を時代に合ったものに改変していく必要があるということです。
 長くなりましたけれど私からは以上です。

 ありがとうございます。背景についてとても整理できたのですが、このあとはどのように進めましょうか。今のお話への質問をするような形で、そこから拡げていく感じでしょうか。

三柴 そうですね、質問をいただき、それぞれお持ちの知見なり経験から話しが拡がっていけばいいなと思います。 (後編に続く)

「リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用【後編】

岡田俊宏先生(日本労働弁護団常任幹事  弁護士)のコメント

 

資料1
広報onHP喧々諤々資料1_2 1
広報onHP喧々諤々資料1_2 2