芸能従事者の労働安全衛生に関する現状と課題(全4回 第4回)

日時 令和5年11月29日 18時~20時10分
インタビュイー

森崎 めぐみ(俳優)
一般社団法人日本芸能従事者協会 代表理事
全国芸能従事者労災保険センター 理事長
文化庁「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」委員
インタビュアー 小島 健一(鳥飼総合法律事務所 パートナー弁護士)
森 晃爾(産業医科大学 産業生態科学研究所 産業保健経営学研究室 教授)
岡田 睦美(富士通・日本産業保健師会会長)
彌冨 美奈子(株式会社SUMCO 全社産業医)

シリーズ最終回の今回は、広報委員が森崎めぐみさんとのインタビューを振り返り、芸能従事者の労働安全衛生の課題をどのように解決していくかを探ります。これまでのインタビューで浮かび上がった課題をもとに、以下のトピックについて考察しました。

≪日本産業保健法学会 広報誌「喧々諤々」インタビュー≫
日時   令和5年11月29日 18時~20時10分
テーマ  芸能従事者の労働安全衛生に関する現状と課題(全4回 第4回 働く人の尊厳を守るために今後の芸能従事者の安全衛生を考える)

インタビュイー

森崎 めぐみ(俳優)
一般社団法人日本芸能従事者協会 代表理事  
全国芸能従事者労災保険センター 理事長
文化庁「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」委員

インタビュアー

小島 健一
(鳥飼総合法律事務所 パートナー弁護士)
森 晃爾
(産業医科大学 産業生態科学研究所 産業保健経営学研究室 教授)
岡田 睦美
(富士通・ 日本産業保健師会会長)
彌冨 美奈子
(株式会社SUMCO 全社産業医)

第4回は、「働く人の尊厳を守るために今後の芸能従事者の安全衛生を考える」と題して下記を話題としています。

≪ディスカッション≫

<4-1 華やかな芸能界の底辺に起きている安全衛生問題の大きさとその根源に迫る意味>

小島 森崎めぐみさんにお話しを伺って分かった、芸能界で起きている目下の安全衛生問題としては、大きくは、メンタルヘルスの劣化と重大な事故に注目するべきでしょうか。ハラスメントや長時間労働をはじめとする様々に過酷な労働状況において、メンタルヘルスの劣化が自殺者の多さにも表れていると思いますし、安全面での事故やケガも重大なものが少なくないことが分かりました。労災保険の特別加入を始めてよかったのですが、まだまだその労災保険料さえ払うことについて、労働者側も、会社側、発注者側も、渋っている状況があるというお話しもありました。

森 この点を改善するうえで、いくつかの方法はあるのでしょう。何らかの契約があればその契約のところに民法上の安全配慮義務は何らかの形で生じますが、そこですら何となくうやむやになっていて、契約がはっきりしないのか、契約があってもそこに生じる安全配慮義務について当事者たちが理解していないのかよくわかりません。対策として、ひとつは法律を作るという方法ですが、安全衛生の世界の法制化は非常に長い道のりになります。一方、任意の団体として森崎さんのような取り組みを行った場合、多くの芸能従事者の方がそこに参加したいと思って拡がっていかないとカバー率が上がらない。地道な努力の継続が必要ということになります。

小島 今回、象徴的だと思ったのは、アンケートを取ったら、昔なら誰も答えてくれないのではないかと思っていたのに、意外にもどんどん答えてくれる。みんなが、声を挙げたい、知ってほしい、伝えたいということに変わってきているのでしょう。改めてそれを横断的に見ると、みんな同じようなことで苦しんでいるんだ、こういうひどいことまで起きているんだということで、自分たちの状況を客観的に認識することに非常に役立っている。アンケートに対して、何が起きているかをきちんとひとり一人が答えていることが、実はこれは相当に大きいインパクトだと思うのです。

森 大きな問題と認識できるにもかかわらず、そのまま放置されているのは何故か、そもそもその元にどのような問題があるかというといころに、今われわれは議論をして入ろうとしているわけです。

小島 森崎さんも「身辺に気をつけてください」というぐらいのものを相手にしているおそれがあります。そのような構造的なものに対決することは、生産的ではないし無理だと思うのですが、そういうことを言っていたら、芸能界とかテレビ業界自体が今やまずい状況にあって、だからこその今の変化なのかという気がするのですが。

 僕の心の中にも多少はあると思うのは、多くの人がおそらくそうだと思うのですが、芸能界は華やかだというイメージです。実際は華やかなのはほんの一部で、底辺の人たちは非常に大変な思いをしている。少し話は飛びますが、医療報酬の本体部分が0.88%引き上げられましたという新聞記事があり、そのことが医療費の高騰と結び付けられていました。しかし、本体部分は医療従事者の給与原資なので、今は世の中の物価が上がり、給与を上げていこうという時になぜ0.88%しか上げられないのだという議論をしてもいいような話です。それがそのようにならないのは、医者はけっこうお金をもらっているでしょうというイメージが、前提にあるのではないかと思うのです。一部はそうかもしれませんが、そうではない状態の医療従事者は多くの課題を抱えているのです。それと同じようにそういうことをそもそも好きでやっていて、華やかなのでしょうというように多くの人の心に芸能界へのイメージが潜んでいるように思えるのです。

小島 そうでしょうね。

 

<4-2 芸能従事者の安全衛生を人権からとらえ直す>

森 今回はILOの労働者の基本的な権利の中に安全衛生が入ったわけですが、安全衛生というのは人権に較べると社会の反応と言いますか感度はそう高くありません。最近は、人権に対しては、その感度が高くなっています。今回の話しは安全衛生の前に人権の議論もしなければならない状況があると思います。

小島 確かにそうなのですが、問題はその効果ですね。人権を侵害されたと言った時にどういう救済やインパクトや、相手に処罰なりがあるのかということなんです。人権侵害に対して新たに何か刑事罰が作られるわけではないので。

 先ほどのレピュテーションリスク的に言うと、人権侵害をしている団体とか業界は「イタイ」感じがしますが。

小島 どうなのでしょうか。そこが日本人は、人権と言うとウルサイ人たちというように扱われ、左ではないかとか、権利、権利と言って、すぐに責任転嫁しているかのように言われる。個人や大衆レベルでもそういう足の引っ張り合いをしている面があるなと思っています。本質的には、これはもちろん人権の問題ですし、安全衛生は人権の最たるものであり、いちばんのベースなのですから。

 そうですね、命に関わることなので。

小島 こういうことが動き出したのは、必然なのかもしれません。今、芸能界は大きく変化していると思うのです。森崎さんのご家族のようにもともと業界にいる人たちは、酸いも甘いも分かって覚悟してやっておられるし、いざという時はどこからか守られたりする、閉じた社会のものもおそらくあったと思うのです。それが、掟さえ守っていれば守られる、何とかなるということが、お互いに見えなくなっているぐらいに、業界が瓦解し始めているということなのではないでしょうか。雇う側、制作側も、マスメディアの凋落もあり、テレビというものがこの先はどうなるか分らないところに追い詰められていて、お金も人材もどんどん低下してグリップも弱くなっています。芸能従事者も、素人と言いますか、普通の若い人たちがどんどん入ってきてしまっています。したがって、そういう意味では何か枠組みや構造を作らないと崩壊の危機にあると思うのです。

 今までの話しを聞いて思っているのは、根本問題は何かということをまず理解しないといけないということです。そのうえで、日本産業保健法学会とか日本産業衛生学会とか、産業保健という業界で何ができるのか、どうあるべきなのかを議論していく必要があります。

小島 ひとつは、産業医と言いながらEAPのような動きをしている産業医、産業保健ができ始めているということです。そういう意味では、産業に関わる医師や保健職の働く場や機会は、実は法が決めているようなものよりもっともっと広いかもしれませんし、ニーズはあるはずだと私は感じるのです。

 

<4-3 芸能業界での産業保健職の活用方法>

彌冨 芸能業界には構造的な問題があり、また芸能従事者は労働者として定義しにくくて、複雑な下請け構造の頂点に位置するスポンサーには、レピュテーションリスクが及びにくい状況です。こうした中で、安全衛生管理体制を構築することは非常に難しいと言えます。では、芸能従事者をどのように守るかという問題ですが、同業者が集まり自分たち自身を守る取り組みが重要で、森崎さんが現在進めている「芸能従事者協会」は、まさにそのような目的を持った団体だと思います。今後はその機能を強化できるかが鍵となると考えています。具体的な機能としては、インタビューでもお話された労災保険の窓口としての役割や、産業医をはじめとした産業保健職の活用によるケアが考えられます。芸能従事者の健康リテラシーをどのように高めるかが重要ですが、その中で産業保健の専門家をどのように効果的に活用するかがポイントとなりますね。

小島 そうですね、このたびの議論の中で出て来たアイデアのかなりのものを組み合わせてひとつにまとめることはできそうですが、今おっしゃられたリテラシーを高めるという面には、もうひとつあって、本当は産業保健には、産業医の勧告権とか、事業者に対する意見や就業制限などがまた別途あるわけですから、ここに何らかの動きがないといけないと思うのです。そうでなければ、個々の方たちも、相談しても何が現実として変わるのかという疑問になるでしょう。もちろん、何もないよりは自殺する一歩手前で話せてよかったということはあるかもしれませんし、あるいは、私はそんなに酷い状態だったのか、気をつけなければ、健康診断を受けなければと考えてくれるようになることもあるかもしれませんが、やはり、この働かせられ方はおかしいですということを知っても自分で動けるかという問題があるでしょう。しかし、専門職という物事を客観的・科学的に見ることができる人たちが関わることで、たしかにこの状況はまずい、危ないですという整理と解説を加えることによって、ただわけも分からずに酷い目に遭ったと言っているのとは、まったく重みが違ってくると思うのです。

 それが、新たに導入される可能性があるフリーランスの労働災害の労働基準監督署への報告の制度に組み合わさってくると、スポンサーやテレビ局に直接言って行くのではなく、結局はそれを報告するところがあることについてサポートすることで何らかの事態の打開になるのかもしれないということです。私が思うのは、そこに産業医がいる意味がある。労働組合に顧問医のようなものを雇えばいいのではないかと言っていた意味は、EAPをやれという意味だけではなくて、それ以上に参謀を持てという意味で、医学的にどうなのかということできちんと見立てをして、整理して説明、表現ができる自分側の顧問を持てという意味です。それは顧問弁護士を持つというのと同じですが。

彌冨 医学的な立場でものが言える顧問という意味ですね。

小島 そうです、ものが分る。相手に言う以前に自分が分る、評価できるということです。正しく客観的に評価できれば、わけも分からず権利主張をしたり不満を言うのではなくて、こういうように危ないからまずいのですと理路整然と言うことができる、こういうことが起こせるのではないでしょうか。

彌冨 芸能従事者協会で臨床心理士や産業医と契約した際、森崎さんが産業医の先生と臨床心理士と共にメディアに対して会見を行った記事を拝見しました。小島先生が先ほど言われた情報発信をということで考えると、アンケートを含めた様々な調査を行い、芸能従事者の安全衛生の実態と課題を科学的な視点でまとめて発信していただくことで課題解決に向かって大きく進んでいくのではないかと思います。

小島 たぶん行政にとっても、そういう裏付けがあれば、規制や法改正ということへの力になると思います。だからおそらく期待しているのだと思います。

 

<4-4 アンケートで実態を把握し専門家が評価して行政につなぐ>

岡田 このアンケートは非常に意味があると思います。回答数を蓄積していき、専門家の分析により整理されていくと、どこが課題で何に取り組むべきか見えてきて、そうなると行政が動かざるをえない状況になるかもしれませんね。今は入口だと思います。

ネイルサロンの個人事業主の方に雇用についてお話を伺った時の話ですが、労災のことなど考えているのかと聞きましたら、特定のネイル系の業界の組合のようなものがあるようで、そこに登録をしているとのことで、何かあればそこに相談はしていますが、あまり深くは考えていませんと言われました。

 小島先生が言われていたように組合がプラットフォームの役割になってくれるのではないかと思いましたが、個人の意識がないとそこにはつながっていかないかもしれません。

小島 労働組合も脱皮していかなければいけない、変化していかなければいけないので、旧来からの労使対立構造を前提にして、交渉してものごとを変えていくことは難しくなっている、もうそういうことではないのです。交渉する以前に実態が把握できていないのです。本当は労働組合こそ現場の実態やひとり一人のプライバシーに関わることまで情報を集めようと思えばできる立場にあるので、それは、経営側に対して労働組合の優位性なのです。力を持てるはずなのです。そこを活用して現場が分っている、ひとり一人のことを把握しているということが、労働者からも存在意義を認められるし、経営に対しても意味のある侮れない存在になっていくのです。その時にはまさに客観性とか専門性という資源を使わないといけない。政治的と言いますか交渉的なことを言っているだけではだめで、それはもう労働組合法上の労働組合である必要はなくなっていると言いますか、そういうことでしょう。

岡田 労働組合のあり方が少し変わる時なのかなと思います。

小島 たとえば、専門家の裏付けのあるチェックリストを提供することが考えられます。起きうるリスクや危険をアンケートや実態調査から整理してきちんと客観的な監修も受けてチェックリスト化する。それを現場で使って、そこはどうなっているのだ、きちんとやっているのかということをチェックすることが、安全配慮義務の予見可能性を高めることになると思います。それが普及してくれば、チェックするべきなのにしていないと非難されますし、また、そういう危険があり得る、よくあるということは分っているでしょうと非難されることになる。業界団体として取引する相手にそれを求めていくとか、まずは自主チェックをしましょうというようなことをすることで、安全配慮の実効性を高めることに意味のあるものになるでしょうし、予防的な取組みを促すことにつながると思います。

彌冨 客観的な裏付けを取ることは大事ですね。以前の『喧々諤々』(注:第2回リスク創設者管理責任論」の産業保健への応用(https://jaohl.jp/koho-kenken_3_risk/)でデリバリー配達員が配達中に自転車やバイクの事故に遭遇する問題が取り上げられ、事故防止のための指導文書が発行されたという話題がありました。それと同様に、撮影現場でも様々な危険な状況が存在する実態が明らかになれば、行政が撮影現場での事故防止のための指導文書を発行する可能性はないのでしょうか。

小島 そこなんですが、行政の通達には法的拘束力があるわけではないのです。デリバリー配達員に関する指導文書も、おそらく事実上は、警察などを巻き込んで、自転車やバイクの取り締まり強化と連動していると思います。道交法の運用も、自転車に明確に適用されるということにどんどん変わってきています。行政も、縦割りのまま、いちおう私たちも注意はしていますというアリバイづくりではだめでしょう。縦割りを超えて、森崎さんのお話にも同じ芸能従事者でも監督官庁が本当にバラバラだと言われていましたが、そこを横断的に本当の意味で行政が取り組まなければいけないようにさせることです。日本版セーエヌセー(CNC)の設立を求める会が提言しているのもそういうことなのでしょう。

彌冨 法的な拘束力がなくても、指導文書が発行されることによって、スポンサーがレピュテーションリスクを気にする可能性はないのでしょうか。

小島 これは言ってはいけないかもしれませんが、行政のああいう文書は、感覚的にはほとんど相手にされていない気がするのです。三柴先生がまさに言われていましたが、不幸な事故や事件が起きると、世論と言いますか、ネット社会全体の風向きも変わるし、そこがあまりにも大きくなると日本人のよくない癖ですが、大手メディアも一斉に方向を変えることがあります。ちょうど今はその潮目と言いますか、先に手をきちんと打っていかないと本当に壊滅的なことが次々と起きてくるのではないでしょうか。森崎さんのお話しをうかがっていて、かわいそうな人たちを何とか救わなければいけないということも然ることながら、私は映画や芸能が大好きですから、テレビ業界、映画産業やエンターテインメント産業が日本では崩壊することを心配しました。崩壊しかかって初めて、建て直さなければいけないと本腰を入れる人が現れてくるのかもしれないですが。

岡田 それでも声を挙げることが少しずつできるようにはなってきているのでしょうか。

小島 これまでは声を挙げる場所もなかったですからね。へたに1人でつぶやいていたりすると突き止められて酷い目に遭うのではないかという心配しますね。それが何百人、何千人、何万人と集めているアンケートの“one of them”でしたら安心して言えます。

岡田 アンケートは実態を調査し課題を把握する上で非常に重要で集団の力になるのかもしれません。

小島 そうですね。

 

<4-5 労働者の定義以前に守られるべき働く人の尊厳>

岡田 このインタビューをするようになってから、芸能業界の話題には敏感になりチェックするようになっています。

彌冨 最近26歳のカメラマンが転落事故で亡くなったというニュースをネットで見ました。私も、こうした事故が実際に起きていることに改めて気づいてチェックするようになりました。

岡田 芸能従事者の働き方を私たちが普通に思っている産業保健で考えようとするとあまりにも現場が複雑すぎて、まずはシンプルに考えてみると、やはり最低限は守らなければいけないところがあるだろうなと感じたところです。

 安衛法は事業者が主語になっていて、芸能従事者の業界では事業者はどこになるのだろうか、労働者側にも労働者が守るべきことをどのようにして伝えていくのか、伝えるルートはどこなのかと思いました。

彌冨 労働者の定義以前に守られるべき働く人の尊厳を考える必要性があるということですね。

 

今回は森崎様とのインタビューで、芸能従事者の労働衛生に関する課題が非常に複雑でかつ広範囲にわたることが明らかになったのですが、インタビューの中ではこれらの課題を十分に掘り下げることができませんでした。そこで、当日参加いただいた先生方と、「働く人の尊厳を守るために 今後の芸能従事者の安全衛生を考える」というテーマで後日改めて課題を掘り下げて考察していくことにいたしました。

お忙しい中2日間にわたり、ありがとうございました。

 

 

森崎めぐみ様より(最後に)

 

私たちの問題をこれほど真摯にご議論いただいたことに、感動しながらインタビューを受けました。業界の課題が長年蓄積しすぎていて、どこから手をつけたら良いのか混乱されるかもしれませんが、実は当事者にとっては至ってシンプルなのだと思います。必要で足りないのは、適切な予算とルールとガバナンスです。

それから前提としてよくある大きな勘違いが 2つあります。芸能業界のフリーランスはどこにも属さない末端の人だけという勘違いと、著名な人は収入も安全も守られて問題がないと言う思い違いです。

私たちの団体には、これまでどこにも属さなかったであろうトップクラスの方が会員にいます。おそらくご経験から労災保険の意義を理解して自腹でも入る必要があると理解しているからだと思います。そういう方は人一倍孤独で、誰にも相談できず、 不安定な収入が深刻です。誰もが知るヒット作に一つか二つ出演しても、なんの権利も社会保障も得られずに厳しい老後を送る方がほとんどです。私自身、主演映画がいくつもありますが、一生生活に困らない確証は何らありません。

ところが海外の芸能界も日本と同様でした。それを変えたのは、芸能人の人権を尊び、リスペクトアーティストの考えを浸透させ、法律を作り、社会保障を固めた結果、ハリウッドのように確固たる地位を築き上げています。その方法を直接教わっているので、私はある意味自信を持ってこの活動をしています。そしてちょっとずつですが足元からコツコツ実現できていることで、当事者に少しずつ理解をいただいて、心底芸を愛してプロフェッショナルに生きたい方々が会員になってくださっているのだと思います。

 

この数年、芸能界の労災事故が大小を問わず報道されるようになりました。それは何よりメディアの方々の理解のおかげでありますが、おそらく労災保険ができたことで一定基準が生まれ、報道のコードが変わったのだと思います。芸能界も今は労災隠しはできないと、自他ともにコンプライアンスが芽生えてきていると思います。

次の課題は重層下請構造の実態を顕在化して適切に改善していくことですが、これは外部や政府の力を借りないと難しいと思います。フリーランス新法や健康管理のガイドラインは非常に画期的ですが、主語はほぼ事業者です。今後は労使間のコミュニケーションが重要だと思いますが、私たちが団体を立ちあげようとした時は一般社団法人がメインになっていました。モデルになるのは働き方が酷似している建築業で、建設工事従事者の安全及び健康の確保の推進に関する法律(略称:建設職人基本法)や建設業法は芸能従事者にもあって然るべきだと考えているので、ぜひ皆様にご理解いただきたいところです。

 

それより以前に、安全衛生や医療関係者の方とでできることは実は1番 大きく、事始めに最適だと思っています。

諸外国の標準的な出演契約書には、映画やテレビのキャストやスタッフが3人集まれば作品労働組合が作れることが条件にあると聞いています。だからインティマシーコーディネート制度を導入できたり、心理的負荷の高い役柄を配役された時や、ハラスメントを受けて回復のために必要な時にカウンセリング代金を制作者に請求できています。さらに大きい映画ではHealthy and Safety Coordinatorが 1つの部署として機能しています。これは日本でもスムーズにできると考え、私たちは安全衛生監修を始めることにしました。産業医を配置して1年7ヶ月になります。産業医の勧告権は最も期待しているところで、既に制作者に提言書を出しています。最近、私は講習を受けて職長・安全衛生責任者になりました。今後、芸能業種の手順書やリスクアセスメントに取り組んで元請の企画者に安全経費を請求していくことを次の目標に考えています。冒頭で述べた安全に長時間労働をしないで制作できる費用の確保が必要なためです。

それから医師と芸能従事者では常識と言語が全く違うことも問題です。とにかく芸能界は特殊です。フリーランスの生活や働き方の過酷さがなかなか理解されません。ベースとなる法律が全く違うことをまずご理解いただくための健康管理研修を企画しました。秋には開始できるように鋭意準備中です。

 

長い後書きになりましたが、この対談を終えてからテレビドラマの原作者が自殺し、劇団員が自殺した宝塚歌劇団の宙組は再開することになりました。秋には芸術・芸能分野で仕事をするスタッフの過労死白書が公表される予定です。健康診断を3割しか受けられない状況下で過重労働をさせ、夢という言葉では語り尽くせない尊い思いで職務を全うしている芸能従事者に、これ以上のやりがい搾取をしないでほしい。少なくとも仕事で人が亡くなってはいけない。この思いを初心として、今後も私のやるべきことをして参りたいと思います。

末筆ながら今回4回にもわたって掲載下さり、私たちの問題を真剣に考えてくださった小島先生、森先生、岡田先生、彌冨先生に心より深く感謝申し上げます。

最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。