座談会 産業保健看護職の現任教育に関する座談会
■≪日本産業法学会 広報委員会 座談会≫
日時 令和6年1月16日
テーマ 産業保健看護職の現任教育に関する座談会
参加者
<はじめに-座談会趣旨>
森 本日はお集まりいただきありがとうございます。今も今後も、産業保健看護の世界を引っ張っていく皆さんに今日はお集まりいただき、これからの産業保健看護職の教育について議論をできることをとてもうれしく思っています。
昨年度開催された「産業保健のあり方に関する検討会」では、産業保健看護職の法制化も含めて検討される予定だったのですが、残念ながら検討会自体が何も結論を出せないまま終了しました。その中で、ある意味では唯一と言ってもいいかもしれない成果として、産業保健看護職の研修・教育がしっかり行われるために検討を続けていこうという流れが残りました。これが一歩、二歩、三歩と進めば、日本の産業保健全体に大きなインパクトを与えることができ、その先に法制化があるのはないかと思います。
これは一つのチャンスだとは思いますが、研修は始まっても、「べつに研修を受けなくても仕事はできる!」と皆さんが思い、ほとんどの方が研修を受けなかったら、おそらく法制化は遠のいてしまうのではないかというリスクがあると思っています。そうなると「研修プログラムを作りました。」「研修会がかなり実施されています。」というプログラムの提供側だけでなく、実際に多くの方が研修を受けて産業保健看護の仕事をしているという状況を目指さないといけないと思います。もともと現任教育が足りないという問題意識が産業保健看護の世界にはあった中で、せっかくそれが実装された時に、多くの方が当たり前のように受けることによって、次のステップに行けるという宿題を我々はもらったのかなと思います。
振り返ると産業医の世界でも、先に日本医師会認定産業医の研修制度ができて、そのあとかなり時間が経って、研修修了要件が産業医選任の条件になりました。おそらく研修修了者が一定数たまっていた状況だったと思います。まずプログラムを作り、それを多くの方に提供できる体制を構築して、新たに産業看護師を始める人は、当然受講するというムードをどのようにして作っていくかがとても大切だと考えています。
このテーマを、今のタイミングで、非常に大きな場面や硬い場面で採りあげてしまうと、やや難しいこともあるかもしれないのですが、産業保健法学会のホームページでは、ザックバランなところでやれるところがあり、いいタイミングかなと思い、企画させていただいたという次第です。
主催者側のコメントとして岡田先生は何かありますか。
岡田 私はこの学会の広報委員会の活動にかかわることになってから日も浅く、まだ十分に役割を果たせていないのですが、私にとってはこれまでとは少し違ったテーマでの議論なので、楽しみです。今回は、森先生より、産業保看護職の質の担保につながる研修会を取り上げてみてはどうかと提案を受け、驚きましたが、ありがたいと思いました。
そこで中谷先生たちの研究班のお話が上がりまして、具体的にどのような感じで進んでいるのかをお聞きできる機会だと思い、大変うれしく思いますので、どうぞよろしくお願いします。
森 ありがとうございます。全体的には、1.現在取り組んでいる産業保健看護職教育の検討の概要、2.産業保健看護職に求められる技術・能力、3.産業保健看護職の育成における課題、4.研修プログラムの実装に向けての課題、5.その先の法制化に向けての課題等について、議論していきたいと思います。
最初に、研究班が立っていて、産業保健看護職の教育の検討がされていますので、その研究代表者が中谷淳子先生に概要をいただき、そのあとで研究分担者である吉川悦子先生、後藤由紀先生に補足をお願いするというところから入りたいと思っています。
それでは中谷先生にはよろしくお願いします。
<研究班の検討概要>
中谷 森先生、こうした機会をいただきありがとうございます。それでは私どもの研究班で現在行っている概要を説明します。
研究課題名ですが「産業現場で活動する保健師・看護師の活用及び資質向上のための方策に係る研究」というところを大きなテーマにしていまして、もう少し具体的に言いますと産業現場で活動する保健師・看護師を対象とした体系的な現任教育のプログラムとその教材作成ならびに教育の形態つまりどのような形で教育をするのか、運用方法も含めて研究、検討を行っているというものです。
背景としては申しあげるまでもないのですが、近年は事業場で産業保健機能の強化が重要になってきており、その中で産業保健看護職は実際に今も多く活動していますし、今後はさらに中小企業も含め、多くの企業で健康経営の推進などがなされていく中でますます産業保健看護職活用のニーズが高まっていくと思われます。
その中ですべての看護職がきちんと期待に応えられるように、つまり従業員の健康維持・増進を通して経営に貢献するという実践力を持つことがとても重要になっているところです。
このような背景を踏まえ、この研究は、産業保健現場で活動するすべての産業保健看護職が実効性ある活動を行うために身につけておくべき基本的な知識、技術を習得するための教育を提供することを目的に行っているものです。今「すべての」と強調したのですが、このプログラムのメインターゲットは、これから産業保健活動を始める方、あるいはまったく経験がない方、始めたばかりの初任期の方になります。たとえば今現在は日本産業衛生学会の産業保健看護部会、日本産業保健師会、日本看護協会などでも産業保健看護職を対象とした教育があるのですが、受講者はすでに活動を始めていて、さらに学習意欲のある方がメインになっていると思います。今作っているのはその前段階で、すべての看護職が最低限これは学んでから産業保健活動をしてくださいというレベル感の教育プログラムです。
できればこれらは看護基礎教育の中で一定程度学んでおければベストなのですが、今現在の日本の教育の中では一部の学校を除いて産業保健に関する科目は非常に少ないという現状もあり、現時点では現任教育で行うのが現実的だという背景もあります。
この教育プログラムの中身は、いわゆる有識者による委員会等の話し合いで決めるのではなく、今現在、実際に社会に求められている活動をエビデンスとし、いわゆるエビデンスベースで作るために、研究的に取り組んでいるというところになります。
エビデンスベースというところで研究の大まかな中身ですが、後ほど先生方にも補足していただきたいのですが、本日ご参加の吉川先生や後藤先生方に分担していただいているもので、実際に産業保健看護職に求められる、いわゆる教育が必要となる能力や技術をまず明らかにするというところから始めています。吉川先生中心の分担班には、国内外の先行研究から産業保健看護職のコンピテンシーを洗い出して整理していただいています。
もうひとつは中小企業における看護職の活動や求められる役割等の整理です。嘱託産業医を選任している従業員50人から299人規模の事業場や、50人未満で産業医契約のない事業場で産業保健看護職にどのような技術も含めた能力が求められているかを明らかにするために、中小企業の担当者にインタビューを行い、活用の効果や何が求められているのかというところで聴き取りをして結果をまとめているところです。
もう一点、同時進行で少し切り口は違うのですが、今後、産業現場で産業保健看護職の活用を拡げたいというのは当然なのですが、実際に今は看護師、保健師が全国的に非常に不足していまして、別の領域でも活用の場が拡げられていて、実際に人材確保ができるのかという問題もあります。臨床現場や行政保健との人材の取り合いという形になってしまってもよろしくないということで、現在は看護職として働いていない「潜在看護職・保健師」と表現していますが、こういう方が産業保健現場に入ってくる可能性があるのかどうかということや、どのような条件になれば働きたいと思うようになるのか、その場合の研修ニーズは何かということも調査をしているところです。今年度はここまでやっていますので、この結果をもとに研修プログラムの案を作り、モデル事業まで行って実装するということを令和7度までにやってしまい、令和8年度以降から実施していきたいという流れになっています。
私からの概要は以上で、先生方から補足があればお願いします。
森 ありがとうございます。補足があればということで、まずは吉川先生からお願いします。
<補足-産業保健看護職に求められる実践能力・コンピテンシーについての分析>
吉川 私の方で取り組んでいるのは、先ほど中谷先生からご紹介があったように国内外の文献を広く検索しながら産業保健看護職はどのような実践能力やコンピテンシーが求められているのかというところをスコーピングレビューという方法を用いながら、今、分析をしているところです。
先ほど中谷先生からもお話しがあったように、これから産業保健の現場で働く人たちをメインターゲットにするということでは、産業保健の中でどのような実践能力が必要なのか、特徴は何か、他の臨床領域とは何が違うのか、看護基礎教育や保健師基礎教育では伝えきれなかった部分は何かというところを文献として明らかにしていくというところが、私が今、ミッションとして遂行しているところです。
そういう中で出てきているもの自体は、産業保健看護職、あるいは産業保健活動の中では特徴的なことで、つまり個人に対する直接的な支援だけではなく、マネジメントをするとか、コーディネートするとか、組織全体に対して働きかけるようなこと、労働環境をリスクアセスメントするというところは、臨床現場とは違った、産業保健看護職に必要な実践能力ではないかと思っていますので、そういうような産業保健に特有の能力をどのように高めていくのかを検討していくのが重要だと思っているところです。
森 ありがとうございます。既存の看護教育でされていることに、差分をプラスアルファしていくということですね。よく分りました。ありがとうございます。
後藤先生お願いできますか。
<補足―企業が求める産業保健看護職の能力>
後藤 私は中谷先生が代表の班で中小企業の担当者から、企業が何を求めているかというところを中心に東海大学の錦戸先生や青森県立保健大学の千葉先生と一緒にインタビュー調査で質的にまとめさせていただいています。
産業保健看護職が誰のために何のために存在しているのかは非常に大事だと思います。したがってその対象である企業の方々が、どういうことを考えているかをあぶり出すことは、非常に重要だと思っています。そこの従業員の方や経営者の方、企業の方の健康や生産性という産業保健の目的を達成するために支援するのが看護職だと思っていまして、そういうところで何を求めていらっしゃるのかということを調査させていただいています。
この研究の特徴の一つが、全国規模で広範囲にわたって20数社の企業様のインタビュー調査をさせていただきました。我々が肌感覚で感じていたような企業が持っているニーズを当事者からのお言葉でいただけたと思っています。
先ほどの吉川先生のお話しにも出てきたのですが、看護職に求められていることは、個別対応だけではなく、組織にどのようにアプローチをするかとか、そこに担当者がいらっしゃるのですが、そういう方と連携しながらどういうかたちで働いていくか、支援をしていくかというところが多く語られていました。企業の中の施策や事業展開に専門職として提言をしてほしいというようなことで、組織本体に対して幅広い役割が期待されているのだと思いました。更に企業の方が考えている産業保健看護職の支援によるいくつかの効果も得られました。従業員の生活習慣の改善支援は当たり前なのですが、更に、看護職の活動により労災が少なくなったとか、離職防止ができたとか、労働衛生担当者の方の負担感が減少できた、企業が主体的に活動できるようなことが分かるようになってきたといった語りが出てきました。詳細は日本産業衛生学会(広島)で発表させていただこうと思っていますので、聴きにきていただけるとうれしいと思っています。
産業保健看護職へのニーズとして予測していたことでもありましたし、経営層や担当者がそのように認識して頂けていることはインタビューをしていて嬉しく、研究者として、更に産業保健看護職としても幸せな気分でした。こういったニーズや求められている役割を教育内容に入れていきたいと思いました。 以上です。
森 ありがとうございます。実は、今年まで厚生労働省の労災疾病研究事業で、産業医に関する研究班を持っていたのですが、そのテーマは「産業医の質・量の需給」でした。今のお話しも、教育して質をどうするかという話しではなくて、需要側がどのように考えるのかを意識して、供給側である産業保健看護師の教育をどうするかを検討しているという理解をしました。さらにその人材がどこにいるのかという量的な問題などの全体像を見ながら、現在、プログラムが検討されているのだなということがよく分りました。
このあと、具体的な内容に踏み込んでいきたいと思っていますが、岡田先生はここまでで何かコメントはありますか。
<個別にやられていた現任教育が体系化されることに期待>
岡田 すごいですね。大学の基礎教育では産業保健は、読み換えで実施されることも多く不十分さは否めません。また新卒採用は現実的にはなかなか難しいとも言われ、特に中小企業などは即戦力を求める場合も多く、新卒の産業保健看護職を育成する体制もないのが現状です。どうしても大企業が、新卒を雇用することになってしまいます。
健康経営が浸透し始めてから保健師を雇ったという話しもよく聞くので、少しずつ需要は増えていると思います。しかしいずれにしても体系化された現任教育はないので企業ごとの裁量や各人の自己研鑚に委ねられています。日本産業衛生学会の産業保健看護専門家制度、日本看護協会や日本産業保健師会のリーダー養成研修や新任期研修を活用している企業もあります。今回の中谷先生の研究班によって、教育が体系化していくことは産業保健の実践現場においてはとても期待しています。
実際には新卒に限らず、臨床の看護師さんで5年ほどお勤めされて企業の方に移ってこられる方もけっこう多いのですが、、臨床との違いに思った以上に戸惑うことも多く、中谷先生が「すべての」ということを強調されたこと、これから産業保健をめざすすべての人への教育体制ができるのは、とても意味のあることだと思って聞いていました。
<体系化検討する場合の考え方-ファースト・アドバンスレベルで整理>
森 ありがとうございます。基本的に体系的な知識も看護学科の中の教育も足りていないので、そういうものも必要でしょうし、さらに先ほどはマネジメントとかコーディネーションやアセスメントなどの、これも知識も必要という話もありました。さらに産業保健スタッフとしての考え方とか姿勢、アプローチなどといった、知識だけではすまないようなテーマも入ってきます。これだけの内容を、どのような優先順位で、どのような構造で考えていらっしゃるのでしょうか。
中谷 今は、研究ベースで知識等の洗い出しをしているところなのですが、やはり見えてくるのがファーストレベル、アドバンスレベルというところは出てきて、先ほど森先生も言われたようにリスク管理をどうするかとか、高度なコーディネーションなどになるとこのプログラムでは、そこまでは取り扱えないだろうという認識はしています。
そこは逆に産業衛生学会や産業保健師会などのいわゆる関係団体のところで、そうしたアドバンスの教育をしていただく。この研究プログラムは本当にベースのところですから基本的な知識で、もちろん座学の講義だけではなく、必要な技術等はありますから、たとえば職場巡視はできるとか、安全衛生委員会で発言ができるというような程度の実習は必要な部分もあると思いますので、それこそ現在行っている産業医研修のような形で講義ベースと実習ベースで、あくまでもベーシックなところをやっていくようなことに大まかにはなりまして、そのレベル感をこれから研究班の中で議論をしていくことになると思っています。
森 最近、産業医科大学の産業医実務研修センターで、衛生委員会をテーマした研修が作られました。事業場で衛生委員のメンバーが議論をしている映像があり、産業医の先生はどう考えますかというように振られて、そこでどのような発言をするか、ディスカッションをするというようなとても実践的な教材です。そのようないろいろなアイデアの教育プログラムが、先ほどの産業医の研究班でも検討されていますので、一緒にやれたらと思います。
中谷 そういうアイデアをぜひ共有できると大変ありがたいです。
森 もうひとつファーストやアドバンスレベルというレベル感があるなかで、まずファーストを固めるという話がありました。いろいろ工夫したプログラムを用いて、産業医向け研修会を行うと、ほとんどの場合、研修前は何をどうやったらいいか分らないというレベルから、「やってみようか」という自信を持てるぐらいまでは研修で改善するということはわかっています。しかし、企業からすると「やってみようか」という人に当たるのではなく、やはり産業医活動の結果、事業者側も「やってもらってよかった」と思うレベルにないと、さらに産業医を活用しようという次のチャンスはなかなか出てこなくなります。産業保健看護職も、それまでかかわりがなかった会社の担当者にとって、最初の接触は非常に大事だと思います。その時に、どのような姿勢で臨むかなどの少しエッセンスと言いますか、何かそこに振りかけがあるといいと思うのです。後藤先生の企業側の話しと吉川先生のコンピテンシーに近いところのお話しありましたが、それをファーストレベルで少し振りかけるといいと思えるエリアはないでしょうか。吉川先生はどのようにお考えでしょうか。
<研修と現場での実践の繰り返しの中で産業保健看護職のマインドを持つ>
吉川 このあたりのことは、今も進行してディスカッションしている途中になっていますので、おそらく基本的なこと、教科書レベルでの座学のような部分の一定の知識はもちろん必要だとは思っています。先行研究をまとめつつ、その点が何かは明らかにしなければいけないと思っています。一方で、やはり産業保健看護職としてのマインドや、専門職としての価値基盤のようなものが、とても重要になってくると思うのです。ちょうど昨日大学で授業がありましたので、学生たちに話しをした時に、やはり何が大切かと言いますと医療機関ではなく働く場で看護職として健康支援をするにはどういうマインドを持って社員や会社組織をそこで一緒に支えていくかというところでは、中立的な立場で、産業とかビジネスに対してもきちんと目を向けて発言することがとても大切だと思っています。たとえば職場巡視にしても、安全衛生委員会のシミュレーションにしても、そういうような実習を通しながら産業保健看護職としての価値や一貫性のようなものを、どこに自分の軸足を置くのかを、研修ですぐに身につけることはできないでしょうが、そういう楔を打っておくことがとても重要で、むしろそちらの方が重要で、どのように楔を打ち、どのようにリフレクションではないのですが、また実践に戻り、また研鑽の場に戻りということを繰り返しながら自分としての軸足固めをしていくのかというところが非常に重要だと思っています。
森 後藤先生は、企業の皆さんにインタビューをされたとのことですが、一方で実際に看護学生に教育をされている立場で、今のことと同じ問いかけについてはいかがでしょうか。
<対象が働く人であることを常に意識して実践することが大事>
後藤 産業保健に関する知識はとても大事だと思っています。教育の対象となる方々は、看護学は修めているのですから、個人や組織などをアセスメントする能力や保健指導をする能力、健康教育や企画力、調整力などは看護学の基礎教育の中で分っているはずだと私は期待しています。そこに「働くこと」とか「産業保健」のエッセンスを入れ込むような形が大事だと思っています。そうすれば法律的なことや産業保健学の知識をお伝えしつつ、それをどのように実践で活用するかを理解して頂くことが大事だと思っています。
私どもの大学は産業看護学というのは比較的力を入れているのですが、看護学生は、保健指導をするにしても運動や食事、睡眠などを学生さんは語るのですが、その背景にある仕事内容をはじめとした企業組織の中で、仕事や職場環境などがどのように影響しているのかとか、そうした産業保健の大事なエッセンスをどう伝えるかが大事だと思っています。
<個に対する支援にとどまらず組織全体への支援の重要性を産業保健看護職にどのように教育するか>
森 つい最近、ある企業の外部向けの報告書で、経営者が自分の言葉で書いた内容がとても印象的でした。「自分は従業員が幸せにならないとこの会社は発展しないと思っていた。それでも会社の利益と社会課題の解決の二項対立があるなかで、自分の思いを実現するのはそう簡単ではなかった。しかし、<人的資本経営>という言葉が入ってきたので、その言葉で勇気をもらった」といった主旨のことが書いてあり、次のページには、「次のステージに行けそうだ」と書いてあるのです。
職場の中で従業員の健康をサポートする時に、企業の発展との二項対立は生じにくくなっているのですが、それでも、やはり会社と本人の関係の中で産業保健スタッフ、どのような立ち位置を取るかは簡単ではありません。さらにメンタルヘルス不調などでは、従業員と同僚との関係はどうなるのかなどが、より複雑となっています。このあたりが、目の前の人にだけサービスをすることを前提とする臨床と比べて、産業保健の難しいところです。臨床で患者さんファーストでやってきた人が、その価値観のまま産業保健にいくといちばん戸惑うエリアだと思います。ここの部分の教育は、最初の入口から必要なことだと思うのですが、どうでしょうか。岡田先生はいかが思われますか。
岡田 そうですね、やはり臨床から来ると最初は患者さんファーストになりがちです。また社員さんのニーズに応えるべく適切な距離感が築けず、近づきすぎてしまうこともあります。
業務の指導よりもむしろそういうことでそこの指導をすることもけっこう多いです。吉川先生がおっしゃってましたが、私も業務遂行に必要な知識や技術という教科書的なものはあとからでも学べると思うのですが、マインドや産業保健で働くということ、つまり個人へのケアだけではなく、組織への支援も必要で、最終的には組織が健康になれるように個人のケアもするという理解は最初に学んでほしいです。
それから業務のフローを覚えるだけではなく、ものごとの考え方とか、考える力は新任期にマインドセットできるとよいと思います。。
森 ファーストレベルの中で必要なものは知識だけではなく、産業保健のマインドセットの教育とかがセットになり初めて次のステージに行けるという仮説ですね。中谷先生はいかがですか。
中谷 私もほとんど同じ意見です。インタビューの結果等々から考えると基本的に、「看護職に何を期待するのか」とか「看護職には何が必要か」ということでは、まず出てくるのは個人の健康度を上げるとか、集団に対する情報提供、教育というところなのですが、そこへの満足がどこからきているのかということをよくよく聞いていくと、やはり企業における働く人の健康支援の位置づけと言いますか、マインドの部分だと思うのですが、それによって企業のパフォーマンスが上がるとか、会社の価値が上がるというところも看護職が理解した上で事業場の業務内容や働くということを理解しながら個人への支援をやっているところを見て、経営者は産業保健看護職の価値を感じてくださっているというところがあります。
そういう意味では本当にミニマムな仕切りで言えば個人支援、集団支援になるとは思うのですが、それは何のためにするのかという、社会の中での産業保健の位置づけというものをきちんと分っておくこと、事業場の経営理念や安全衛生管理の方針などをしっかりと理解してアセスメントし活動するという、前提となる考え方やマインドが必要で、それを持って活動をしている看護職に対して企業の方は非常に満足をされるということが分りました。
<実装に伴う課題>
森 そうなりますと基礎的な知識だけならば、e-ラーニングだけでもできるからいいのですが、それにプラスアルファでそういうものを入れようとするとどうやって研修をするかということとか、どの場所でやるか、誰が運営するのかといった、おそらく実装についての課題点はかなりありそうで、プログラムの内容とその運営というところでは、そこの議論はまだこれからということなのでしょうか。今のアイデアはどのような感じなのでしょうか。
中谷 今、実装のところで議論が出ているのは、いくつか課題がありまして、マインドまで教えるということであれば、まず教える側の問題があります。誰がそれを教えるのかを議論しています。理想的には、このプログラムができあがったとして、それを教える講師を一定程度の基準を設けて、可能であれば講師養成研修のようなものをする。そして教える側の基準を決めてプログラムの中で最低限、この基準を満たす講師が数名程度入っているというようにしていくという、まず教える側の体制づくりという問題があると思います。それから研修プログラムを実施する主体についても少し議論はしているのですが、基本的にはわれわれが一定程度のパッケージと言いますか、こういう教育をするという中身のゴール設定まで含めて共有をして、できればそれを大学や関係団体等に実施していただく。実施団体を探さなければいけないのですが、そのようにしてある程度、全国規模でやっていけるような形をとりたいと考えています。
吉川先生から何か補足がありましたらお願いします。
吉川 ほとんど同じです。やはり知識ベースや技術ベースのような形で教育をとらえているようなところですと、まだプログラムはできていないのですが、このプログラムの本当の良さのようなもの、私たちが作ろうとしているプログラムの本当の価値が発揮できないだろうと思っていて、今はいくつか興味を示してくださっているところもありはするのですが、やはり「考えられる産業保健看護職」を育成するためには、教える側のコンピテンシーも必要だと思っています。
森 後藤先生はいかがですか。
後藤 私は中谷先生がおっしゃったゴール設定が大事だと思うのです。このプログラムの中でどこをゴールにするかですが、この教育を受ければ、産業保健看護活動が完全にわかるということではなく、「扉を開けたのだ」という認識と思っています。専門職として自己研鑽をしていくというようなことをいかに伝えるか、産業保健の魅力・楽しいというところも伝えるということが大事なのだと思います。
教える側の能力も非常に大事だと思いますし、もうひとつこの実装プログラムをある程度構造化できるといいのかなと思います。単にリスト化されたものではなく構造化する。その中でどこをめざしていくかというようなプログラムができるといいと個人的には思っています。
<既存の産業保健スタッフと新任教育プログラム受講者のマッチングに問題はないか>
森 ありがとうございます。今のお話しを聞いていて、そういう研修を本当にやる気のある方が受けられると、将来に望みを持ちながら仕事をされるようになるのだなとイメージできるのですが、そのような人たちを受け入れる会社側の、すでにいる看護職の皆さんや衛生管理者がまったく違う発想を持っていたら潰されてしまう感じもするのですが、そのあたりの現状はどうなのですか。
岡田 すでにいらっしゃる方も一緒に教育していける仕組みにならないと、新しい方が入ってきても成長していけない環境になってしまうかもしれないと聞いていて思っていましたので、これから入る人たちの教育も大事ですが、現在、今いる人たちにも教育が提供されるとよいと思います。
森 いろいろなところで、その価値観のディスカッションをたくさんすることでしょうね。これは産業保健の世界では共通の問題で、看護職という職種だけの問題ではありません。もっとワイワイガヤガヤの機会を増やしていくこと自体が、学んできた人たちをうまく受け入れる素地になると思ったのですが、課題としては簡単ではないですね。
中谷先生は何かありますか。
<すべての人に提供することをめざし、現場の課題に対応する>
中谷 この研修プログラムを作ったのはいいが、これから産業保健を始める人がどのくらい受けるのかということも課題として議論に上がっています。このプログラムのターゲットはあくまでも初任期、いわゆるベーシックなレベルではあるのですが、できれば現在産業保健をやっている看護職の方すべてにということで、先ほど「すべて」と言ったのはこの点もあるのですが、もちろん専門家制度の上級専門家レベルになれば別ですが、できればすべての人に一度受けていただけるような、そうしたアナウンスと言いますか周知、雰囲気を作り、産業保健看護職であれば、一回はこの研修は受けているというような形にしていくことも想定しています。
岡田 そういうように間口を拡げていただくといいですね。
中谷 できれば最初はそういう形ですべての人に受けていただけるといいということで議論を進めているところです。
吉川 私が思っていることなのですが、私たちが研究ベースで明らかにしたものは、大変な理想郷を描いているわけではなく、現在の産業保健の現場の声を集めて、あるいは産業保健関連の論文を集めて、あくまで現場で起きていることベースで作りあげてきたものでして、そういうマインドを育てた方がいいとか、自分たちは誰のために活動しているのだというところを明確にしようというのは、現場を反面教師にして理想を述べているわけではなく、それが現場では重要だと私たちが思い、それを集めてきたものなのです。非常にキラキラした人を現場に送り込んで、現場で潰されるというイメージよりも、何とか現場で輝いている人たちに追いつけるようなものを作って送りだそうというベースだと私は思っていたので、グッドプラクティスベースでインタビューも進めているかもしれないのですが、それは現実の産業保健の中で起こっている声だと思います。
そういう意味で言いますと実装するのは大変難しいかもしれないのですが、現場での実践と研修の循環ができるようになると、さらにこのプログラムの実装性が高まると言いますか、価値が上がっていくとは思います。研修で学んできたことは教科書で、現場で起こっていることはそれとは別のできごとではなく、たとえば研修で学んだことを現場で活かしてみる、あるいは現場で少し思っていた疑問を研修の場で形にしてみるというような循環がうまくできると、非常にいいプログラムになるのではないかと思います。
後藤 私も追加させていただいていいですか。そうなのです。決してすべての現場がキラキラしているわけではないということは重々承知ですし、経営者の皆さん全員が前向きではないということも分っています。そういう中で専門職として、自分の中にある核のようなものは持ちながら、私たち看護職は「待つ力」はあると思うのです。専門職として「やらなければいけないことを今」でなくて、もう少し待ってから伝えるとか、そこから影響を与えていくのも、少しずつ、少しずつということも教育プログラムの中でお話しできるといいと思ったりもします。
森 「私たち看護職は待つ力は…」と言うとそうだと思うのです。これはいい言葉ですね。
岡田 たしかにそうですね。待つとか、タイミングを見計らうとか、そういう力は意外に持っていたりして、それを上手に使うことでものごとが進むことがありますね。
また、企業ごとにその中での立場とか役割はまったく違ってくると思うのですが、看護職として持つべきとコアの部分をしっかり学んでいただくと、あとは応用力だと思いますので、そういうところをプログラムの中で伝えていただけるとありがたいと思います。
<どのようにして多くの方に受けてもらうか>
森 そうなりますと中味の話しとか運用方法やマインドの話しなど色々ある中で、いいものができるのならできるだけ多くの人に受けてもらいたいですね。そのためには、講師をどうするかということや、プログラムのデリバリーの問題が大切ですね。また、受ける側が受けたいという気持ちになるには、どうすればいいかも重要ですね。
岡田 どうやって研修の周知したらいいかと私も思っています。
また、おそらく会社は予算を取らないとその研修には出せないということもありますし、自己研鑚として自費で受講する場合もあります。たとえば私などは大企業にいますが、人数も多いので、会社予算での学会参加は順番ですし、あとは自分で休みをとって自費で参加することもあります。むしろ1人職場の看護職の方が毎回参加できていいなと思うところもあります。
森 中谷先生、今のような話はどこまで議論されているのですか。
中谷 どのように周知するかということでは、具体的なところまでは出ていないのですが、やはり個人の学習意欲に任せているだけではなかなか難しいと思いますので、やはり企業が、この研修を受けている看護職を雇うというようなことになるのがいいので、そういうところの周知が必要だと思います。今は厚生労働省の研究でやっていますから、どういうレベルかは分りませんが、産業保健看護職を雇うのはこの研修を受けているのが望ましいというところで周知をしていただければ、会社として受けさせるということになっていくのだとは思います。
そうなりますと、これから産業保健を始めたいという産業保健看護職がもしかしたら自分で受けるかもしれませんし、採用を考えている会社が受けさせるかもしれません。まだ漠然としていますがそういうようなことを考えています。
森 一緒に働く産業医への周知もとても大事ですね。
中谷 そうですね。産業医がこの研修を受けている産業保健看護職と働きたいというところで言っていただければいいと思います。
森 とくに私などは、今は嘱託産業医活動をしているので、専属産業医の時以上に、嘱託先の産業保健看護職がどうなのかが、とても全体のパフォーマンスに影響します。会社には、「絶対に受けさせろ」と言おうかと思うのですが、多くの産業医がそのようなサポートをするといいのですね。
中谷 そうですね。先生たちから言っていただけると。今の日本産業衛生学会の産業保健看護専門家制度についても、よくご存じの先生は、専門家制度に登録している産業保健看護職がいいと言って下さったりするので、そうなるとよりいいですね。
森 岡田先生はどうですか。
岡田 企業側は産業医の先生は選任義務があるのでよく知っていると思いますが、そもそも産業保健看護職については知らない企業もたくさんあると思います。以前神奈川産保センターで8,000枚の「看護職活用のチラシ」を配布したが問い合わせが5件しかなかったという話も聞きました。教育とともに、産業保健看護職の認知度アップも重要な課題だと思っております。
森 こういうものはたくさんの方が受けないと法制化は難しいし、法制化しないとそういうニーズは生まれないので、どのタイミングでどのように次のステップに行くかはけっこう重要ですね。
中谷 中小企業のインタビューをした時に、22、23社ですが、ほとんどの事業場で看護職を活用する時の課題は何ですかと聞きましたら、「看護職を活用できることを多くの企業が知らない」という回答がありました。
後藤 そうでした。メリットがうまく伝わっていないのではないかとか、そもそも存在を知らないとか、自社ではこうやって活用しているのだが、他企業に聞くと、そういう人がいることやそのような活動をしてくれるのを知らなかっただという程度のレベルだからもっとアピールしてくださいよ!と仰っていただきました。その時にアドバイスも頂き、商工会議所とか企業団体に働きかけていけばいいというお話しもいただきまして、そうした周知は本当に大事なのだというように思いました。
今回の研究ではないのですが、以前に、嘱託産業医の先生に健康経営のインタビューをした時にやはり嘱託産業医で行くとそこに産業保健看護職がいなくて、「僕は産業保健看護職がいてくれたら大変助かるのに」と言っていただいたこともあり、先ほどの森先生のお話しとも大変つながったのですが、色々な方にどのように周知していくかは、もっと考えないと、と思いました。
森 産業医でも法令があるから産業医を雇いましたという会社が法令以上のことを頼もうとするきっかけには、こういうことを頼んでもいいのだという「気づき」が必要です。そもそも法令の規定がないところで、まったく接していないところからは頼もうということにはならないのだろうと思います。そのように色々なルートを通じて、やはりこれは使ってみようという話しになるのは大事だと思います。
岡田 そうですね。神奈川産保センターで「産業医がいること」という冊子を作って配布していたので、それと同じように「産業保健師がいること」というリーフレットを作成しました。産業保健師の役割や、どのような考えで業務をすすめるのか、事業場でどんなことをしてくれるのかなど記載されています。
<今後に向けて>
森 ありがとうございます。ここまでで、1回目の目的はかなり達した感じがしていて、何をやろうとしているのか、方向性が分かりました。私も「そういうことだったのか」という気づきもありました。最後に皆さんに今後の展望や課題などを、一言ずつお話していただきたいと思います。
後藤 現任教育というところでお話しを進めているのですが、少し外れて補足させてください。産業保健看護職の教育に光が当たっていることを嬉しく思います。看護専門職がどう働くか、自己研鑽は連続性だと思います。ですから大学に所属している者として、この教育プログラムの質を精査していくと同時に、「産業保健」について大学院教育や卒前の看護の基礎教育にも力を入れていきたいと思います。看護や産業保健のマインドが育つような良い種をしっかり撒いて、「全ての働く人々と企業のQOL向上」に役立つ産業保健看護職の育成に貢献できると嬉しいです。
吉川 端的に言わせてもらいますと、やはり私も研究者の端くれなので、産業保健看護職は何ができるということだけではなくて、産業保健看護職が1人いることで、生産性でもいいのですが、健康度の向上でもいいのですが、どのような効果、アウトカムが企業にもたらされるのかというところをもっときちんと研究としてまとめて報告していきたいと思っています。できれば神奈川産保のリーフレットに1行でも追加できるようなエビデンスを蓄積していくことが、とても重要だなと常々痛感しているのですが、本日もまた改めて認識いたしました。以上です。
中谷 この教育の最終的な目標はやはり1人でも多くの働く人に産業保健活動を提供していけるということだと思います。そのためには産業保健看護職の活用は必須だと思いますが、活用が拡がるためには、産業保健看護職の質と言いますか実力がないと、使ったはいいけれど、やや「イマイチ」だよねということで、効果が上がらないということもありますので、その意味でこの教育プログラムは非常に大切だと想っています。
実際の先ほどの認知度ということに関しては、インタビューをした方は、健康経営をどうしようかとか、社員の健康というところで地産保とか健診機関に相談して産業保健看護職を紹介されたとか、もう一方で純粋に健診の事後措置のためだけに雇ったのだけれど、実はそれ以上のところをやってくれて非常に質が高いというところから活用が拡がったということもありますので、そういう面からもこの教育プログラムを実効性のあるものにしていきたいと思っていますし、その一部が今後、基礎教育にも採り入れられるような方向になっていけばいいと考えています。
岡田 産業保健看護職の質の担保にむけて現場は現場、教育は教育ということではなく、やはりみな一緒になり一丸でやっていくことが非常に重要だと思います。本日は、大学の先生方とお話しする貴重な機会をいただきありがとうございました。引き続き先生方と一緒に連携してやっていきたいと思います。
森 ありがとうございました。本日は、現在進められている研究班で、現任教育をどのように作られようとしているかということをうかがい、今後の課題について議論をいたしました。短い時間でしたが、かなり本質的な議論ができました。これは産業保健全体で取り組んでいかないと、産業保健看護職の皆さんだけがこういうプログラムができたと言うだけでは、おそらくそう簡単に浸透はしないと思います。もう一度私の立場でも何ができるかを考えてみる機会にもなったと思っています。
最近、多職種連携という言葉を色々な形で色々なところで使われるようになりました。しかし、その時のイメージが、職種間で共通にはなっておらず、バラバラの場合もあると思います。そのような状況ではうまくいかないということもあるので、今日のような議論を職種を超えてできるといいなと思いました。
本日の座談会はここまでにします。ありがとうございました。
参加者一同 ありがとうございます。楽しかったです。勉強になりました。ありがとうございました。…以上