Q12 使用者には、在宅労働者の健康の保持のため、どのような措置が法的に求められますか?現在、産業ストレス学会や産業精神保健学会等が公表しているガイドラインの遵守は、法的に求められますか?使用者がそうした措置を講じずに、在宅労働者が「うつ病になった」、「エコノミークラス症候群になった」等と訴えてきた場合、賠償責任を負いますか?
A 使用者には、在宅労働者の健康の保持のため、労働安全衛生法令により求められる措置を講じると共に、在宅労働者の健康状態を把握し、その内容・程度等に応じて、作業の転換や内容の軽減措置等を講じることが、健康・安全配慮義務の履行として求められます。その際、学会等が公表しているガイドラインについては、産業医等の適切な専門家の関与の下、遵守または参考にすべきでしょう。使用者が、民事上の安全配慮義務を尽くさなかったために、在宅労働者がうつ病になったり、エコノミークラス症候群になったりする等の健康被害を受けるようなことになれば、損害賠償等の責任を負うことになります。
【解説】
1.使用者には、在宅労働者の精神的健康の保持のため、少なくとも、労働安全衛生法令が定める措置をとることが求められています。労働安全衛生法では、テレワークを行う労働者も含め、常時使用する労働者に対し、雇入時の安全衛生教育の実施や雇入時及び定期の健康診断やその結果に基づく事後措置、長時間労働者に対する面接指導、ストレスチェック(常時50人以上の労働者を使用する事業場に義務づけ)及び労働者の申出に応じた面接指導(ただし、努力義務)等が義務づけられています。使用者は、これらの措置を実効あるものにするために、産業医(常時50人以上の労働者を使用する事業場に義務づけ)を選任する必要があり、たとえ産業医を選任する義務がない事業場であっても、産業保健総合支援センターやその地域窓口(地域産業保健センター)等を活用し、医師や保健師による保健指導を実施することが努力義務とされています。
2.もっとも、これらは最低限度の義務です。予見可能性と結果回避可能性のある業務災害を防止する措置が講じられていなければ、健康・安全配慮義務違反による民事上の損害賠償責任を負う場合があります。
⑴ 安全配慮義務とは、使用者が従業員に負う雇用契約上の義務であり、災害発生を未然に防止するため物的・人的管理を尽くす義務であり、「結果責任」を問うものではありません。
したがって、労働災害が発生した場合でも、社会通念上相当とされる防止手段を尽くしていれば安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任は免れることになります。
ただし、裁判所による予見可能性または危険回避に関する判断は、一般的に使用者側に厳しいものとなっています。それは、労働契約においては、使用者は労働者に対して指揮命令権を有しており、使用者の支配・管理が及ぶ状況下で就業をさせる以上、労働者の健康状態や就業の方法・環境を把握し、就業によって健康・安全がおびやかされないように、健康・安全リスクの調査と管理のための手続きを尽くすことができるし、する必要があると解されているからです。
⑵ もっとも、安全配慮義務の内容や限界は、必ずしも自明ではありません。そのため、安全配慮義務に関する裁判所の判断においては、その事案の性格に照らし、予見可能なリスクが窺われる場合には、労働安全衛生法等の法令はもちろん、行政が示している指針や解釈例規、手引きやガイドラインを始め、行政による委託研究の報告書、業界認識を裏付ける学会の指針、報告書等のさまざまな文書が解釈の基準として参照されることがあります。
このような観点から、現在、産業ストレス学会や産業精神保健学会等が公表しているガイドライン等について、産業医等の適切な専門家の関与のもとで、遵守または参考にするのがよいでしょう。
⑶ なお、パソコン等の情報機器を使って作業を行う労働者の心身の健康を守るため、厚生労働省「情報機器作業における労働衛生管理のためのガイドライン」(基発0712第3号。https://www.mhlw.go.jp/content/000539604.pdf)が公表されています。また、日本静脈学会は、在宅勤務等に伴ってエコノミークラス症候群(足の静脈に血の塊ができて肺の血管に飛んで急に息ができなくなってしまう病気。肺血栓塞栓症と深部静脈血栓症)を予防するためには、足を動かすことと水分を十分に摂ることが重要であることを注意喚起しています(https://js-phlebology.jp/wp/wp-content/uploads/2020/04/【日本静脈学会】20200428報道機関様へのご依頼.pdf)。
3.日本の裁判所は、以下の通り、労働者のメンタルヘルスについて、使用者に高いレベルの配慮を求める傾向にあります。
① 建設技術研究所事件大阪地判平成24年2月15日労働判例1048号は、たとえ不調に陥った労働者が就労継続を希望していても、周囲への「気兼ね」が明らかなので、心身の状況を確認した上で休職させるべきだったと述べています。
② 公立八鹿病院組合事件広島松江支判平成27年3月18日労働判例1118号25頁は、勤務医が長時間労働やパワハラによりうつ病を発症して自殺した事案につき、その防止のために被告病院が講じるべき方策の一環として、自殺の後に開かれた安全衛生委員会で提案された諸措置(各種懇親会の開催、長時間労働面接指導の徹底、メンタルヘルス専門部会の設置と適宜検討など)を挙げ、それらが行なわれていれば、被災を「防止し得る蓋然性があった」としています。
③ 東芝(うつ病・解雇)事件最2小判平成26年3月24日裁判所時報1600号77頁は、過重な労働による体調の悪化が看取される場合、労働者本人からメンタルヘルス不調の「情報については積極的な申告が期待しがたいことを前提とした上で」、適宜、業務調整などを行う必要があると述べています。
ただし、概ね直前の業務上の過重負荷やその人物の日常行動からの逸脱などの、不調をうかがわせる事情を前提にしていることに留意する必要があります。
したがって、使用者においては、在宅労働者の健康状態を把握し、不調をうかがわせる事情があれば、作業の転換や、内容の軽減措置等を講じることが求められます。
在宅労働者の健康状態については実際に会って確認することが望ましいですが、これが困難な場合は、Web会議システムや電話等によって表情や声音が分かるコミュニケーションの機会を持ったり、信頼性のある自己記入式のチェックリストを活用したりすることによって、在宅勤務中の労働者の健康状態の把握に努めるべきでしょう。
4.また、個人の性格や家庭状況により程度の差はあるものの、職場や同僚から離れることによる「孤独感」や「仕事のやりにくさ」を感じることも否めません。
さらに、上司が業務の遂行状況を直接現認して優先順位づけや仕事のやり方の指導をすることが難しくなるため、労働者によってはオフィスにいるときよりも長時間労働になってしまう傾向があることや、子どもの学校が休校などになっているため、子どもを持つ労働者は、通常の所定勤務時間の勤務に強いストレスを感じている可能性があることにも留意すべきです。
したがって、在宅勤務を快適に行うためには、ハード面の整備に加えてソフト面の対策も求められます。具体的には、日本渡航医学会・日本産業衛生学会が推奨する、以下の対策等が考えられます。
① 業務とプライベートの切り分け
・業務の開始と終わりを自分に言い聞かせるために、勤務開始時と終了時に上司に連絡させる。
・昼休みは、軽い散歩など外出の機会に充てさせる。
・オフィス勤務時と同様に毎朝の身支度や身繕いはきちんと行わせる。
② コミュニケーション方法の検討
・電話会議やWeb会議ツールを利用し、声や画面を介したコミュニケーションをとらせる。
・メールではなく、あえて電話等でのコミュニケーションを取らせる。
・1日1回は時間を決めて声や画像を通じた打ち合わせを行う。
③ 在宅勤務の限界を認める
・在宅勤務のデメリットではなく、メリットを周囲の者と共有できるようにする。
・オフィス勤務時と全く同じレベルのアウトプットを求めない。
・在宅勤務で効果を上げるための方法をチーム間で常に考え実行させる。
5.民事上の安全配慮義務は手段債務であり、大切なのは、「手続を尽くすこと」です。
そのため、使用者側においては、安全衛生委員会や産業医等を活用する等の合理的なプロセスを経て、手続や体制の整備を図り、実施した措置について記録をとり、その良識が顕在化するよう努めることが求められます。
以上
(参考文献)
1.弁護士 外井浩志 監修.経営者の労働災害防止責任 安全配慮義務Q&A(第3版),中央労働災害防止協会編,東京.中央労働災害防止協会,2015:23.
2.三柴丈典.メンタルヘルスと安全配慮義務.産業精神保健 26(特別号),2018:109-114.
3.厚生労働省「テレワーク導入のための労務管理等Q&A集」
https://work-holiday.mhlw.go.jp/material/pdf/category7/02.pdf
4.日本渡航医学会-日本産業衛生学会作成「職域のための新型コロナウイルス感染症対策ガイド」
https://www.sanei.or.jp/images/contents/416/COVID-19guide0511koukai.pdf
〈執筆者〉
淀川 亮(弁護士法人英知法律事務所・弁護士)