個人事業者の健康確保に関する労働衛生的視点からの考察

個人事業者の健康確保に関する労働衛生的視点からの考察

産業医科大学産業生態科学研究所教授・日本産業保健法学会理事
森 晃爾

1. はじめに
 建設作業で石綿(アスベスト)にばく露し、肺がん等に罹患した元労働者や一人親方が、国を相手取り、規制が十分であったかが争われた「建設アスベスト訴訟」の最高裁判決において、石綿の規制根拠である安衛法第 22 条は、労働者だけでなく、同じ場所で働く労働者でない者も保護する趣旨との判断がされた。これを受けて、安衛法第 22 条の規程に係る省令について、請負人や同じ場所で作業をする労働者以外のものに対して労働者と同等の保護措置を講じることを義務づける改正が行われた。この中には、安全確保のために必要な作業方法の遵守や保護具の使用等の周知義務、有害物の有害性等の周知義務が含まれる。
 現在(2022 年 9 月)、労働政策審議会安全衛生分科会の指摘を受けて、個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方を幅広く見直すための検討会が開催されている。そ の中では、危険有害作業に係る個人事業者等の災害を防止するための①個人事業者自 身、注文者等による対策、②事業者による対策、③過重労働、メンタルヘルス、健康 管理等の3つの論点に分けて検討が行われている。安全対策に比べて、労働衛生対策 は個人の行動の要素が大きく、また請負関係においては指揮命令ができないことから、実効性を上げる対策を規定することが困難である。一方で、個人事業者等の自己責任 を拡大した場合には、その責任を果たせるだけの十分な知識を有していることが前提 であるが、その点にも大きな課題がある。
 そこで、労働衛生対策を①有害要因による健康影響防止、②心理社会的健康障害要因による健康影響防止、③職務適性の管理および両立支援、④健康の保持増進に分けて、労働者の健康確保のためのプロセスを明確にしたうえで、個人事業者の健康を確保するための必要条件について整理してみたい。

 

2. 労働衛生プロセスの整理
 1)有害要因による健康影響の防止
 有害要因による健康影響を防止するためには、ハザード情報を入手し有害性を評価したうえで、ばく露を許容レベルにコントロールする。その際、作業環境の対策では十分なばく露低減が図れない場合には個人用保護具を適切に着用する。そして、ばく露による健康影響の有無を評価するための特殊健康診断を行い、その一連の過程について記録して保存する。
 図1では青で示した事項は事業者の責任で行われ、緑の事項は事業者と労働者の共同の責任で実施される事項であるが、有害要因による健康影響防止のプロセスは、その多くの構成事項が事業者の責任で行われる。

図1 有害要因による健康影響防止のためのプロセス

 


2)心理社会的健康障害要因による健康影響防止

 心理社会的要因も健康障害要因の一つであるが、対策のアプローチが異なる部分があるため、別途プロセスを掲載する。心理社会的健康障害要因には、職場のストレスや労働時間などが含まれる。その対策や健康影響の確認は、労働者本人の行動が必要であるため、事業者と労働者の共同の責任で実施される。また、体調不良時の医療機関や相談窓口の利用は、労働者本人の自発的な行動が必要となる。

図2 心理社会的健康障害要因による健康障害防止のためのプロセス

 


3)職務適性の管理および両立支援

 職務適性の管理は、労働者の健康状態と職務の負荷等の要素とのマッチングのプロセスであり、評価後の対応においては、就業上の配慮といった事業者側の対応だけでなく、治療継続や生活習慣の改善等の労働者側の努力も不可欠である。
 また、両立支援については、労働者が有する疾病やその他の状態といった個別性へ の対応がより重視されるが、概ね職務適性の管理と同様のプロセスを踏むことになる。

図3 働く人の職務適性の管理および両立支援のためのプロセス

 


4)健康の保持増進

 健康の保持増進は、一般健康診断等の健康状態の評価の機会をもとに、本来は労働 者側の自発的な努力で行われるものであるが、労働者のヘルスリテラシーが十分では ない対象または状況においては、受診指導や保健指導等の事業者側の支援が行われる。

図4 働く人の健康の保持増進のためのプロセス

 


3. 個人事業者の現状

 このような労働衛生プロセスを、個人事業者に適用しようとした場合、事業者側が行うタスクの一部は、発注者や元方事業者が行う必要がある一方、多くが個人事業者自身の自己責任で実施しなければならないことも事実である。そのことがどの程度現実的かについて、個人事業者の実態に関する情報が必要となる。
 産業医科大学産業保健経営学研究室では、労働者安全・衛生・健康実態調査をネット調査会社の登録者を対象として行っている。2022 年 2 月に行った調査結果(27693名を対象、うち個人事業者は 2226 名)では、個人事業者は組織所属者に比べて、性・年齢、業種・職種、収入などの要素を調整しても、短時間睡眠の割合が少なく、主観的健康観が高い人が多かった。一方、健康診断の受診率は低く、特に、5年以上健康診断を受診していないオッズ比は 3 を超えていた。また、ヘルスリテラシーが低いという結果であった。
 以上から考えると、健康影響の防止や健康の保持増進を図るための前提である健康状態の評価機会や改善行動に必要なヘルスリテラシーが極めて低い状況において、自己責任としてプロセスの多くを担わせることに大きな無理が存在する。

 

4. 今後の議論
 労働衛生プロセス全体を俯瞰するとともに、個人事業者の実態に関する調査結果を紹介した。これらを考慮に入れると、個人事業者の健康障害要因による健康確保のためには、リスクを生み出す側である発注者や元方事業者がより大きな責任を果たす方策を検討する必要がある。多くの場合、指揮命令下にないことを理由に、危険有害情報やその対処方法について情報提供・周知の範囲を限界とする議論がある。しかし、個人事業者の実態を考慮に入れると、周知だけで健康障害の防止が図れるとは思えない。一歩、進んだ対応が求められる。たとえば、労働安全衛生マネジメントシステムの構築において、その適用範囲を構内で働くすべての人として、個人事業者をシステムの中に組み込み、共通のルールとして順守を求め、その実行を支援していくことを求めていく方策を検討する必要があるのではないだろうか。
 当然のことながら、作業による健康影響を防ぐためにも、また健康保持増進を図るためにも、ヘルスリテラシーの向上が欠かせない。これに関して、情報提供の機会や相談窓口の設置を図る方法が考えられる。しかし、ヘルスリテラシーが低い現状では、その機会が有効に活用されない可能性が大きい。労働における安全と健康の確保に関して、学校教育を含めた包括的な取組みが必要なのではないだろうか。