人事労務 第3回「参加型産業保健トレーニングのすすめ」

ILO中核的労働基準としての安全衛生

 2022年は産業保健にとって大きな転換点となる年になりました。ILO(国際労働機関)が労働安全衛生を「労働における基本的原則と権利(FPRW: Fundamental Principles and Rights at Work)」に加える決議を採択したのです。当初FPRWが採択された1998年には、「結社の自由及び団体交渉権の効果的な承認」、「強制労働の廃止」、「児童労働の撤廃」、「雇用及び職業における差別の排除」という労働における必須の4つの原則と権利からスタートしました。ここに安全衛生が加わり労働における必須の基本権利である事が国際的にはっきりと認知されたのです。

 それに伴い、ILO労働安全衛生条約(1981年、第155号)および安全衛生における促進的枠組み条約(2006年、第187号)が、中核的労働基準に加えられました。これによって中核的労働基準は5分野10条約となりました。現時点でILO条約は190ありますが、その中で最も基本的で重要な10条約に安全衛生が加わったことになります。すべての加盟国は批准したか否かに関わらず、これらの原則を尊重し促進しかつ実現する義務を負い、毎年その進展をILOに報告します。日本は第155条約をまだ批准しておらず今後の進展が期待されているところです。

 

労働者参加を進める参加型改善

 ILO第155号条約は安全衛生における政府および使用者の責任、そして労働者の権利と義務を規定しています。ビジネス活動によって生じる安全衛生リスクをコントロールし、安全で健康的な職場を作る一義的な責任は言うまでもなく使用者にあります。政府は政策、法的枠組み、監督制度、情報提供や研修制度を整備します。労働者には使用者が計画する安全衛生プログラム・活動に協力する義務と参加する権利があります。同時に自身の安全衛生リスクについて知り質問する権利、緊急事態において職場を離れて退避する権利等があります。労働者参加については、ILO労働安全衛生マネジメントシステムガイドライン(ILO-OSH 2001)において詳細に述べられており、ISO45001 においても基本的な要求事項であることはよく知られています。

 これに呼応してILOでは、労使、特に労働者の直接参加を進める産業保健トレーニングをその技術協力における実践的な手段として頻繁に応用しています。職場の好事例に依拠し、対策指向型のアクションチェックリストを用いて労使が協同で職場点検をして自身の職場の強みと改善点を把握する参加型手法です。各国の労使に広く受け入れられ活用されてきましたが、日本においても、製造業、オフィス、病院職場、福祉施設等での実践活用が進み、また参加型を軸にストレス対策に焦点をあてた取り組み方も開発応用されています。

 

参加型産業保健トレーニングの進め方

 職場レベルで実施する参加型産業保健トレーニングの進め方は次のようになります。

1) トレーニングの準備;トレーニングに先立ってできるだけ多くの好事例・改善事例の写真を、自身あるいは関連する職場で撮影し技術分野毎に整理してあらかじめパワーポイントのプレゼンとして準備しておきます。製造業であれば、物の運搬と移動、ワークステーション、機械の安全使用、物理的環境(照明、換気、温熱、有害物対策など)、福利厚生施設、作業組織の6分野が基本になります。これに建設業であれば高所作業の安全、病院職場であれば針刺し事故予防等の医療事故防止が加わります。トレーニングに使える時間によって2日かけてすべての分野をカバーすることもできますし、手短かに2,3時間程度で実施したい場合には分野や内容のスライドを絞って実施することも可能です。参加人数は多すぎないように、20人から30人くらいまでが基本です。トレーニングルームのテーブルは、U字型あるいは島型に準備して小グループ討論をしやすくします。
2) 職場訪問とアクションチェックリスト応用;参加型トレーニングでは、まず最初に参加者全員で自身の職場を歩いて回りアクションチェックリスト演習を行います。このアクションチェックリストは20から30項目ほどで上記の6分野の基本ポイントをカバーしています。それぞれの項目毎に好事例を示すイラストが添えられています。例えば、アクションチェックリストの項目の一例として「 ワークステーションの高さを肘高かその少し下方に合わせます。」というのがありますが、それについてこの改善アクションが必要か否かを参加者は自身で判断していきます。こうして全体の20から30項目について職場を見ながら参加した労使ひとりひとりが自身で判断していきます。
3) 好事例提示とグループ討論;職場訪問によるアクションチェックリスト演習の後でトレーナーが6つの技術分野毎に、好事例写真と基本ルールを手短かにスライドで提示します。そして訪問した現場についての良い点と改善点のグループワークを行ないます。参加者は自身が実施したアクションチェックリストの結果を見ながら、他の参加者と意見交換して改善提案をまとめます。通常職場の良い点3つそして改善点3つをグループ毎にまとめます。時間が許せば6つの技術分野毎にグループワークをしてもよいですし、そうでない場合にはいくつかの分野をまとめて実施する場合もあります。
4) 最後に「改善の実施」というセッションを設け、安全衛生委員会はじめ継続改善のための活動についてトレーナーが手短かにプレゼンします。近隣職場での改善活動や改善写真を含むこともできます。この後、先ほどアクションチェックリストで点検した自身の職場の良い点3つと改善点3つをグループ討論を通して最終的にまとめあげてトレーニングを終了します。トレーナーはリーダーではなく、労使を中心とした改善議論の促進者役を果たします。改善策と連動したゲームを取り入れたり好事例写真をたくさん壁に貼って、最もシンプル、低コスト、賢いアイデアはどれかを選んでもらう好事例写真コンテストなどもトレーニングに取り入れます。
5) トレーニングから数か月後を目途にフォローアップミーティングや訪問を実施して、実施された改善事例から学び合いまた次の改善計画について話し合います。WhatsApp[1]グループを作って改善例の写真を交換しあったり、安全衛生委員会の活動に組み入れて参加型産業保健トレーニングを継続的に実施する事もあります。

 

参加型産業保健トレーニングの意義

 参加型産業保健トレーニングは、すでにある好事例から学んで簡便に低コストでできる改善から始めます。そこで各国で産業保健スタッフのいない多忙な中小企業での応用がまず進みましたが、大規模な職場で実施して今まで埋もれていた改善ポイントが多数出てくることも経験されてきました。言われて参加するのではなく、何よりも労働者自身の主体的な参加を後押しできるのが参加型保健トレーニングの強みです。なかには労働組合主導で実施されている職場改善活動もあります。

 第155条約がILO中核条約に入り、健康的で安全な職場環境づくりに政労使は協力し合ってこれまで以上に実践的な活動を強化する必要があります。すべての働く人々とその職場、特にこれまで十分な産業保健サービスが届きにくかった中小企業、非正規労働者、移民労働者、自営業者等に産業保健活動が到達する上で、ここに紹介した参加型手法は実際的なツールを提供しています。我が国の多くの職場と職種においてもさらに広く活用され成果をあげることが望まれます。

 

参考文献

1.国際労働事務局(ILO)編集、国際人間工学会(IEA)協力、小木和訳:人間工学チェックポイント、労働科学研究所出版部、2014年
2.小木和孝、川上剛:職場が変わる‐働きやすくする参加型改善‐、現代書館、2023年


[1] WhatsAppメッセージアプリのこと