判例解説 多職種ディスカッション「経済産業省LGBTQ最高裁判決」

(井上(司会進行))

 広報委員会の主幹を務めております弁護士の井上洋一と申します。

 広報委員会の判例解説コンテンツとしては、産業保健分野の裁判例を通して、皆さまに基本的なリーガルマインドを習得していただけたらと考えております。

 今回も、どうすればよかったのか、どういうコミュニケーションが求められたのか、これからどうしていけばいいのか、そんなような視点で産業保健職の方々が法律を学ぶ意義について考えていただけるような機会になったらと考えています。

 

(笹井(司会進行))

 研修委員会の笹井健司と申します。現役の労働基準監督官で、社会保険労務士です。

 令和6年2月23日に、研修委員会主催で「経済産業省LGBTQ最高裁判決」をテーマとした事例検討会を開催する予定で、今回の判例解説コンテンツは、研修委員会と広報委員会のコラボ企画として、この事例検討会で登壇頂く先生方にお願いしております。

 それでは、これから「経済産業省LGBTQ最高裁判決」をテーマに先生方に多職種ディスカッションをして頂きます。

まずは、先生方から一言ずつ自己紹介をいただけますでしょうか。

 

(堀内先生(弁護士))

 弁護士の堀内聡と申します。基本的には企業側で人事労務中心にやっておりまして、この学会も入ってまだ1年も経ってないぐらいですけれども、普段から勉強させていただいております。本日このような機会をいただいたこと、感謝しております。よろしくお願いします

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 大阪で産業医と精神科医をしています大林知華子と申します。私も、11月から広報委員会の主幹に前任の先生と代わってなったところでして、いろいろ勉強していきたいなと思っておりますので、皆さんよろしくお願いいたします。

 

(境先生(人事))

 京都の島津製作所で、人事部で障害者雇用とメンタルヘルスを主に担当しています境浩史です。トランスジェンダーの方とお会いする機会も増えており身近に感じています。何か縁を感じるようなお話をいただいて、またいろいろと勉強していきたいと思います。よろしくお願いします。

 

(井上(司会進行))

 それでは、私から「経済産業省LGBTQ最高裁判決」の概要をご紹介します。

・性的少数者のトイレ使用制限に関する最高裁判所の初判断

 令和5年7月11日、戸籍上は男性でトランスジェンダーの経産省職員に対する、女性トイレの使用制限について、最高裁第3小法廷は、国の対応を「裁量権の範囲を逸脱し違法」とし、制限を不当と判断しました。

この制限は、女性トイレ使用に関する要望を受けて開かれた職員向け説明会でのやり取りを踏まえ、経産省が決定したもので、下級審では判断が分かれていました。

 

・事案の概要

 原告:国家公務員として採用、平成16年5月以降は経済産業省で執務

 平成10年頃から:女性ホルモンの投与を受ける

 平成11年頃:医師より性同一性障害の診断

 平成20年頃から:私的な時間のすべてを女性として過ごす

 平成21年7月:上司に性同一性障害について伝える

 同年10月:経産省担当職員に女性の服装での勤務や女性トイレの使用等について要望を伝える

 (平成22年3月頃までには:血中男性ホルモン量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回り、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと医師の診断を受けた)

 平成22年7月14日:同部署の職員に対し、性同一性障害についての説明会が開催。庁舎の執務階とその上下階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める処遇を実施

 翌週から:女性の服装等で勤務し、執務階から2階離れた階の女性トイレを使用。他の職員との間でトラブルが生じたことはない

 平成23年から:家庭裁判所の許可を得て名を変更し、職場においても使用

 平成25年12月27日:女性トイレの自由使用を含め、女性職員と同等の処遇を行うよう行政措置の要求

 平成27年5月29日:人事院は上記要求を認めない旨の判定

 以上の経緯により、原告は、国を相手として、上記判定の取消し及び国家賠償請求訴訟を提起

 

・最高裁の違法判断の理由

 最高裁は「他の職員への配慮を過度に重視し、原告の不利益を不当に軽視するもので、著しく妥当性を欠く」とし、その理由を次のように挙げました。

 ①女性ホルモンの投与や≪…略…≫を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。

 ②女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。

 ③数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。

 ④約4年10カ月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。

 

・注目すべき5裁判官の補足意見

 上記は全裁判官の一致した判断ですが、各裁判官が、トイレの使用制限に関する利害調整の考え方について、注目すべき多様な補足意見を付しております。

  • 宇賀克也裁判官の補足意見

 同僚の女性職員が同じトイレを使うことに抱く違和感・羞恥心は、トランスジェンダーへの理解を増進する研修で相当程度払拭できる。経産省はそうした取り組みをしないまま約5年が経過した。多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえない。

  • 長嶺安政裁判官の補足意見

 経産省の処遇は、急な状況変化に伴う混乱を避ける激変緩和措置とみることができ、説明会の時点では一定の合理性があったと考えられる。しかし、自認する性別に即し社会生活を送ることは重要な利益であるから、経産省には、この処遇を必要に応じ見直す責務があった。

  • 渡辺恵理子、林道晴両裁判官の補足意見

 性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状の下では、両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要である。経産省は、説明会で女性職員が違和感を抱いているように「見えた」ことを理由に、原告の女性用トイレ使用を一部禁止し、その後も維持したが、合理性を欠くことは明らか。

  • 今崎幸彦裁判長の補足意見

 今回のような事例で、他の職員の理解を得るためどのような形で、どの程度の内容を伝えるのかといった具体論は、プライバシー保護との慎重な衡量が求められ、難しい判断を求められる。事情はさまざまで、一律の解決策にはなじまない。現時点では、本人の要望と他の職員の意見をよく聴取し、最適な解決策を探る以外にない。今回の判決は不特定多数が使う公共施設の使用の在り方に触れるものではない。

 

(井上(司会進行))

 概要は以上のとおりですが、堀内先生、事実関係・判旨の補足、本判決の意義等をご説明いただけますでしょうか。

 

(堀内先生(弁護士))

 私が思ったのはこの裁判例は基本的には行政裁量を広く認めると言いながら、裁量の余地を狭く見ているように見えます。経産省には施設管理権があって、これまでの裁判所の傾向からすると行政の裁量を尊重して踏み込まない傾向にあると見ていたんですが、今回かなり踏み込んだ判断をしてきたな、と驚いたというのが最初の印象でございます。

 じゃあ、なんでそこまで踏み込んだのかというと、これは最高裁の裁判官からのメッセージなんだろうと思っています。裁判官全員から個別意見が付されているのもかなり異例なことです。

 もう少し中身の話をすると、本件で一体どういった利益の調整をしないといけないのか考えると、一つは、原告の自認する性別に即した社会生活を送るという法的利益。反対側にあるのは、女性トイレを使っている他の女性職員の利益。この二つの利益を調整しなければならないけれど、女性トイレを使っている他の職員の利益というのが性的羞恥心だとか不安感など抽象的で、具体的なものがなかった。なので、後者を重く見るべきではなく、他方で性自認に即して生活を送る利益が非常に重要な利益だということで重く見たということなんだろうと思っています。

 この事件は国が被告の事件でしたけれども、こういう調整は民間でも当然これから必要ですよ、というのが裁判所からのメッセージで、当初は国の事件だからということで民間には影響しないんじゃないかとも言われていましたけれども、今回の最高裁の判決と各裁判官の個別意見を見ると、これは民間でも同じように利益調整を図りなさいよと裁判所は言っているんだと思っています。

 

(井上(司会進行))

 境先生、LGBTの方とお話する機会があるとお聞きしましたが、今回の判決を見て感じたこと、これからどうしたらいいのか考えていることをお話いただけますでしょうか。

 

(境先生(人事))

 この事件をいろいろと読んでいくと、平成21年という時代に初めて打ち明けられたとあります。14年経過した今では人事部の中にダイバーシティインクルージョンできるほど企業内でも活動をしているんですけれど、当時、人事の担当者として、こういうトランスジェンダーの理解というのは難しく、打ち明けられたときに人事担当者もどうしていいのか困ったんじゃないかなと思います。

 経産省が2回説明会をし、周りの人がどのように感じるのか、周りからの違和感とか、いろんなことに気を使って配慮してトイレ使用の制限をしたことは、当時としては丁寧に対応されたと感じるところです。最近では多目的トイレなどの設備が整っている、また、オフィスカジュアルの職場も増えているので、丁寧に対応がしやすくなっていると思います。

 

(堀内先生(弁護士))

 ちなみに、地裁判決によると、多目的トイレは執務していたフロアにはなくて、上の階や下の階とか全フロアじゃないところにいくつかあったようです。

 

(境先生(人事))

 執務するフロアと上下1階ずつのフロアの女性トイレを使わないというのは、女性職員の使用頻度が高かったと推察もできるし、顔を合わせないようにしたというところを考えると、苦し紛れの対応にも思います。この辺りが一旦決めたものの、見直すという概念がおそらく人事の方にはなかったのかなと、私は感じました。

 

(井上(司会進行))

 島津製作所では、現在どのような対応をされているのですか。

 

(境先生(人事))

 新規雇用においては入社前に、いろいろと配慮事項とか確認が必要です。障がい者雇用での一例になりますが、障がいをオープンにして貰った方が当事者も仕事をしやすいということで、職場全員に配慮事項を明示し理解を得た例もあります。

 企業ではLGBTQの研修等を受けている社員が多く、一定の理解はあると思うので、違和感のある空気というのは感じないと思います。

 

(井上(司会進行))

 裁判長の補足意見でも、プライバシー保護等の慎重な考慮が求められると書いてあったんですけど、入社されるときの話し合いで、どこまでは職場に伝えていいけど、これ以上はダメとか、個人情報やプライバシーの関係もかなり詰めたお話をされるのでしょうか。

 

(境先生(人事))

 すべてオープンしても大丈夫という方もおられますし、最低限ここまで開示と言う方もおられると思います。個別の対応が求められますが、企業ではいまのところ順調に働かれているのではないかと思います。もちろん、これから課題も出てくると思います。

 

(井上(司会進行))

 大林先生は精神科医で産業医でもいらっしゃるのですが、この最高裁判決が出て、何かご感想や問題意識とかございますでしょうか。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 LGBTQやトランスジェンダーとか、こんなに一般的になってきて、かつ人数も増えてきているのに、まだこんなことで揉めるのかというのが率直な感想です。誰も周りが不平不満を言っておらず、男性ホルモンの数値も提出して周りを考えているのに、なんでこんな誰の利益にもならないことをするのかなというのがまず率直に感じました。

 私が実際外来をしていた時にトランスジェンダーの方はいらっしゃいましたし、今産業医をしているいくつかの会社でもトランスジェンダーの方々が増えてきています。就業規則の結婚休暇や忌引休暇の規定も、今までは法的な結婚でないといけなかったんですが、法的に結婚していなくても、トランスジェンダーで同性同士で結婚状態にあれば、結婚の休暇が取れるようにしましょうという相談が会社で2年前くらいにあって、それはいいことですねと話をし、同性パートナー登録制度が令和3年12月から開始しました。なので、この事件についてはこんなに揉めてしまうのが残念だなというのと、わからないものに対する恐怖感、違和感みたいなものを一定数が持っていて、こういう結果になってしまったのかなと。

 もう少し教育というか、理解を促進するための活動みたいなのを、各会社ごとに産業医や人事が行って、ある一定の割合でLGBTQの方がいることがわかってもらえればいいのかなと思いました。最近イスラム教徒の方も各会社で入社されているのですが、そういう場合はお祈りの場所を作りましょうとか、ハラル食を用意しましょうとか、そういうことは結構スムーズにいくのに、なぜLGBTQに対してはスムーズにいかないのかなというのがすごく疑問として思いました。

 

(井上(司会進行))

 民間企業の方が遥かに進んでいるというような印象で、なぜ民間の方が進んでいるのでしょうか。本来、国が人権問題として引っ張らないといけないような気がするのですが。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 イメージアップにもつながりますよね。うちの会社がこういうふうに理解がありますよというところは、健康経営を行う会社が皆さんに良いイメージを与えていたように、トランスジェンダーにもちゃんと理解があって、そういう制度も整っていますよというのは、この会社はどんな人でも受け入れてくれるんだなというイメージアップにも繋がり、プラスの面もあると思います。いい従業員を失いたくないというか、そういう社員から「心の中の性別に違和があるんです」という話があったときに、この方が会社で働き続けられるように人事制度を変えていこうかという話があった会社の話も聞いたことがあります。

 

(井上(司会進行))

 医学的な用語のことで、この裁判でも「性同一性障害」と診断を受けたと書いてあって、トランスジェンダーは障害ということになっているんでしょうか、この障害という用語に違和感があります。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 現在精神疾患の分類に用いられるものとして、WHOが作成したICD-11と、米国精神医学会によるDSM-5があります。今まではどちらとも「性同一性障害」という精神疾患の分類でした。2013年にDSM-4からDSM-5になった際、名称が「性別違和」と変更されましたが、まだDSMでは精神疾患に残っています。ICD分類では、2019年にWHOが障害じゃないよねという話になり、ICD-11では「性別不合」と名称が変更され精神疾患の分類から外されました。

↑名称変更だけでなく、精神疾患の分類から外された。

 

 

以前の病名

変更年

変更後

米国精神医学会

DSM-5

性同一性障害

2013年

性別違和

WHO

ICD-10

2019年

性別不合

 

 

 

(堀内先生(弁護士))

 今は性同一障害とか疾患ということで、精神科の先生に診断をしてもらっていると思います。疾患あるいは障害でなくなるからといって、医学的に診断を受ける必要性自体は変わらないと思うんですけど、そのあたりってどうなっていくんでしょうか。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 今の状態では、大体の精神科医がDSM-5から病名をつけるので、性別違和というのが一応DSM-5の中には載っていますので、精神疾患としての性別違和を診断書に書いてくれると思います。ただ、いろいろ配慮を受けるときに、診断書がない場合、主張だけで「トランスジェンダーだからこういう配慮が欲しい」という方は、今後どうなっていくのかというのは私もすごく気になっています。

 

(堀内先生(弁護士))

 例えば障害者に対する合理的配慮の文脈でも、手帳がないとダメなのかどうかという議論があります。企業として一定の特別な扱いをするにあたっては、何か裏付けがないと人事としても動きにくいというところもあって、一定の医学的な診断や意見をもらう必要というのは今後もまだあるんじゃないのかなと思っています。境さんもその辺り本人の主張だけじゃなかなか動きにくいというのはあると思うんですけど、その辺りいかがでしょうか。

 

(境先生(人事))

 おっしゃる通りで、障害者雇用でいうと、手帳を持っている方であればある程度明確なんですけど、いわゆる手帳を持っておられないような方、特にメンタル不調の方とかで、わざわざそのために診断書を提出をさせることって非常に難しいし、この辺りの遠慮と配慮というのはすごくバランスに悩ましいところがあります。今回の経済産業省事件もそうですが、周りとのバランスというか公平に扱うという部分を見たときに、根拠というのを出さないと、「なぜあの人だけ優遇されるの」いう話が先行するところって結構多いです。なかなかオープンにしづらいところもあって、非常に舵取りがこれから難しいという実感があります。

 

(堀内先生(弁護士))

 企業として各従業員に対して職場環境の配慮義務や広い意味での安全配慮義務を負っているので、疾患とか障害っていうレベルじゃなくて、個性をどこまで尊重して配慮するのかといった議論に広がっていくのかなという気もしつつ、そうするとますます人事としてもそのような調整を細かくしていくのは難しいし、それをしないと安全配慮義務違反だというのも疑問ですし、そのあたりは結構難しい。今回のこの最高裁の個別意見を見ても、かなり細かく事情を確認して調整することが求められているように思います。経産省やあるいは民間でも大きい企業だと人事部門が整備されていると思いますけど、小さい会社だと、そんなこと言われましても…という現実も他方であると思うんですよね。そのあたりも皆さんのご意見も含めてまたお聞きしたいなと思います。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 私も一つ聞きたいんですが、労務提供という意味で、例えば腰痛があるから20㎏以上の物は持てませんという業務上の配慮、「この仕事はできません」っていう、配慮を求めるときは、診断書があってしかるべきだと思うんです。今回の件については、トイレや更衣室、健康診断を男女どちらで受けるかということで、別に何らの就業上の配慮、仕事をするという面にいては配慮はいらないわけで、そこに対しても診断書をわざわざ提出してっていう必要性もあるのかなっていうところも気になります。

 

(堀内先生(弁護士))

 そうですよね。仕事の労務提供の内容そのものに影響するんだとすると、それは賃金と労務の対価関係を変更することになるので、診断書が必要。そもそも合理的配慮で労務提供の中身まで変えてあげる必要があるのかっていうのも一つ議論としてあるところですけど、いずれにせよ、客観的なものがないと不公平だという議論が出てくると思うんですよね。

本件は、労務提供の内容には影響しませんが、これは偏見もまだあるのかもしれませんけど、自称LGBTQ、自称トランスジェンダーの方が下心を持って女性用トイレに入るということを避けないといけない面もあるので、客観的なものが必要だと考えたこと自体は否定されないんじゃないのかなと私は思っています。

 

(笹井(司会進行))

 令和5年6月にLGBT法が成立しましたが、それによる企業実務への影響やその他気をつけるべきことはありますか。

 

(堀内先生(弁護士))

 この最高裁の判決の方向性がより強められるというか、性自認を重要な法益として保護しなさいということはより強まるのではないかと思います。この件で地裁は性自認に即した生活を送ることを「重要な法益」と評価しましたが、高裁では「保護すべき法益」として「重要な」という修辞が落ちたんですよね。最高裁はこれが法的利益として保護されるかどうかの判断を明示していませんが 、やはり法律の成立によってより保護されるレベルは高まるのではないかと思います。あともう一つ申し上げるとすると、性的少数者に対する差別禁止という観点がより強くなってきて、性的少数者も基本的には同じように生活できるようにしてあげなさいというふうになる。基本的に同じにして、例外的に異なる取扱いをするなら、その取扱いに合理的な理由があるのかが問われる、というようになっていくのではないかと思います。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 2019年の大阪市の調査でLGBT人口は3%~8%だったそうです。そんなにいるんだって思っていたんですが、実際色々な会社で個別の面談をしていると、「私も女性なんですけど、実はパートナーも女性なんですよね。でも面倒くさいから周囲には言ってません。」という方も結構いらっしゃいます。

言いたい人が自由に言えて、不利益を被らないようになって欲しいと思うんですけれど、そのためにこれから何が必要なのかというところが私はわからなくて、法的な部分で必要なこととか、こういうのがあればいいんじゃないかなという点を、教えてもらいたいです。

 

(堀内先生(弁護士))

 法律ってやっぱり後追いなんですよね、どこまで行っても。経産省も含めて国も後追いだと思うんですよ。民間が積極的にいろいろやっていて、それで何の問題もなくやれてるじゃないかっていう、ニワトリが先か卵が先かみたいな議論ですけど。それこそ各企業の先進的な取り組みがオープンになっていって、そういうやり方もあるんだねみたいな話が広まっていくと多分追随しやすくなるというか、国民の意識が「社会通念」という形で裁判所の価値判断に反映されていく面があると思います。この最高裁も令和5年の判決で、冒頭境さんがおっしゃったように、事案としては平成21年から始まってるもので、10年前の裁判所だったらここまでの判決書いてないような気がするんですよね。そのあたりの時代の変化というか、社会の意識の変化っていうのは、むしろそっちが先行してるっていうような感覚を僕は持ってます。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 日々そういうLGBTQの方々の声に耳を傾けて、「こういう制度があったらいいんじゃないか」とか、「会社でこういう風にしていったらいいんじゃないか」みたいなのを、現場から吸い上げて人事に相談したりして制度を変えていくっていうのが大事ということですね。

 

(堀内先生(弁護士))

 そういう意味では、境さんの会社のLGBTQの方が非常にオープンに情報をどんどん出しておられるっていうのは先進的というか、社会にとってもかなり価値のあることなんじゃないかなというふうに思います。

 

(境先生(人事))

 企業でもLGBTQとか障害者雇用に関しての研修とかいろいろやったりすると、総論的にはやっぱりこれはちゃんと取り組まないといけないとなる。ただ持ち帰って自分の部署で現実に目の前に起こったときに、マネージャーの方の対応が、各論になってくると難しい。特に障害者雇用もそうですけど、精神障害者の方を新たに雇用というときはなかなかハードルが高い。研修までやっているのになぜ難しいのかというと、自分の周りにそういう人がいないという思い込みが結構あるように感じます。

 障害者雇用をうまくいくときの一つの例として、身近なところに障害を持っている方や、障害理解をもともと持っている方がいる。そういう意味では、先ほどLGBTQの方が3%~8%おられるということであれば、会社という組織ではなくて日常の生活の中で、そういう方が身近におられると理解というのがすごく深まるところもある。会社だけじゃなくて日常生活でもいろんな方と接することによって理解は深まるし、それが会社でも広まってくればいいと思うんですけど、教育をしても問題がいろいろ出てくるというのは、これからもあるのではないかと感じます。

 

(井上(司会進行))

 今回、トイレということで個室が問題になって、個室だとまだある程度利害調整しやすそうなところもあるんですが、更衣室だとか他の施設の利用を考えると、利益衡量するときの考慮事項が変わったりするでしょうか。

 

(堀内先生(弁護士))

 更衣室でも全裸になることはないじゃないですか。性器そのものが見えることはないんじゃないのかな、というふうに思いながらも、トイレと違って個室ではないので、同じ空間に男性器がついている方がいることに対する、女性職員に対する配慮というのは、トイレよりもより慎重に求められるんじゃないのかなという気はします。が、あるべき姿としては、性同一性障害で性衝動に基づいて性暴力の可能性が低いという診断を受けているのであれば、経産省事件と同じような考え方で、利用を認める方向で基本的には考えていかないといけないのかなという気はします。

 

(井上(司会進行))

 理念としては反対とかじゃなくても、具体論、各論を考えだすといろんなことが起きそうですね。企業の現場だと、実際に何か議論になったりとか、うちはこうしているとか、そういったことはありますか。

 

(境先生(人事))

 これから一番気になるのは就業規則です。ずっと古いままの部分があるので、この辺りの対応と、それによって家族手当とかいろんな手当の扱い方も変わってくる。健康診断の運用の仕方というところも、どういう形でやっていくのかというのはまだ詰められていないので、場合によっては健康診断を受けなくて人間ドッグを受けたら代用できるとか、そのあたりの運用でいうと、まだこれから想定していないこともいっぱい出てくると覚悟しています。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 私が産業医として関わっている会社だと、休暇や手当てについては、男女じゃなくてもパートナーであれば認めますという就業規則が既にある会社もあります。

性別違和があると、健康診断の時にやっぱり男性にも見られたくないし、女性の方も違うしとなってくることもあります。ある会社では、集団健診の場合、健診会社が会社にやってきて朝から夕方までにババババッとみんなを検診するというシステムなんですけど、お昼の時間10分~15分だけ、その人のための時間として取っておいて、他の人は入れないっていう対応をしている会社もあります。制服とかも男女で違う場合もあったりするので、小さい会社とかだとその辺りどうするんだろうなというところも気になります。

 

(笹井(司会進行))

 このコンテンツをご覧いただくのは産業保健職の方が多いのですが、もし大林先生が経産省の産業医だったとして、何かできることはあったでしょうか。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 私だったら周りの方々の理解度を確認するというか、違和感や嫌悪感を持っている方がもしいれば、そこを解消できるような全体的な教育や研修というのは、産業保健職の仕事としてやってもいいのかなと思います。今後、性の多様性に関する基礎知識は必要不可欠です。知らないが故の不安感を解消するのと、人事と協力してどのようにするのが一番みんなが居心地がいいかというところを話し合って、皆の意見を取り入れながら、「こういうことを言っている人がいまして」、「じゃあ、これに対してはどうしましょうね」といった形で、一個一個不安や疑問を潰していけば、誰も悲しまずに良い具合に落ち着くんじゃないかなと思います。先ほど話題に上がった就業規則などは、人事と相談して変更していただいたりもすると思います。

 

(井上(司会進行))

 先生方、本日は貴重なお話、誠にありがとうございました。それでは、最後にひと言ずつ頂きたいと思います。

 

(堀内先生(弁護士))

 冒頭申し上げたとおり、裁判所も踏み込んだなというのが私の印象です。経済産業省はある意味、自社ビルというかトイレの使用を好きに決められる立場だったというのも大きいと思っています。民間でも、自社で一棟ビルを使っているとか、あるいは自社工場でやっているというケースだと、トイレの使用について会社がいろいろ決められると思いますが、例えば小さい企業で1つのフロアに複数のテナントが入っている会社の場合に、こういう配慮ができるだろうか。あなた女性トイレを使っていいですよと、会社だけで決められないというケースもあると思うんです。いろいろ考えていくと、本当に個別的な調整をしないといけない。それは、当該従業員もそうだし、周りもそうだし、場合によってはビルのオーナーとか、お客さんが来るような場所だったらお客さんのことも考えないといけない。考えだすとキリがない。

 使用者側の弁護士としては、理念としてそういうふうにやっていくべきだというのはわかるんだけど、それをやってなかったら違法ですとか賠償義務だと言われるのもいかがなものかと思っています。経産省事件も、令和の裁判所から見れば十分ではなかったかもしれませんが、平成21年頃から、前例がない中で調整を試みていた、そういった現場の苦労もわかってほしいなと思います。そんなところで現場の方と我々も一緒に勉強して対応を考えていかないといけないな、と思っています。

 

(井上(司会進行))

 2月の事例検討会のときは、申し訳ないですが、堀内先生にはヒール役といいますか、悪役っぽい弁護士役をやってもらって、言いづらい現実的な部分もズバズバご発言お願いします。

 

(大林先生(産業医・精神科医))

 まず私は精神科医としては、トランスジェンダーの方の自殺率やメンタルヘルス不調の罹患率が、そうでない人と比べると非常に高いことを感じます。物心ついた頃からの周りとの違和感を感じていたり、周りにありのままの自分を受け容れてもらえなかったり、それで自己肯定感が低くなったりとか、複雑な悩みを抱えていらっしゃる方が多いんですよね。今、そういう人たちがやっとカミングアウトしたい人はできるようになってきつつあるというところだと思うので、産業医としてその辺りはすごくサポートというか、バックアップしたいというふうに思います。「もうちょっとこうしたらいいのにな」という現場の声は、なかなか皆さん上げてくれなくて、そういう声を産業保健職に伝えてもらえたら、「これ足りなかったね」と会社も気づきやすくなると思いました。

 

(境先生(人事))

 人事としては、こういったトランスジェンダーのことも含めて、いろんな形で従業員への浸透を図る努力は継続していかないといけないなと思いました。また、ハード面というか環境面の整備というところと、一人一人の個別調整というソフト面の運用、この辺りに対応の難しさをよく感じました。

 

(笹井(司会進行))

みなさま、本日はありがとうございました。先生方のお話を伺って、LGBTにまつわる問題は人事・産業保健・医学・法律など多角的に検討しないといけない課題だと切に実感しました。

 令和6年2月23日に開催する事例検討会では、多くの方にご参加頂き、多職種による議論を展開できればと思っています。先生方におかれましては、事例検討会でもよろしくお願いいたします。

以 上

(令和5年10月19日開催多職種ディスカッション「経済産業省LGBTQ最高裁判決」)

以上