判例解説「シャープNECディスプレイソリューションズ事件」

井上:
 今回は、広報on HP「判例解説」シリーズの第2回ということで、鳥飼総合法律事務所の小島先生から、シャープNECディスプレイソリューションズ事件(横浜地裁令和3年12月23日判決)について、いろいろとお話を伺いたいと思います。
 進行としては、当事者や事実関係、判旨の概要等について、小島先生が作成されたスライドをお示ししながら解説をいただいた上で、この判決のポイントや意義、小島先生の考察や批判を伺っていきます。
 また、私からも、この判決について抱いた疑問点を挙げさせていただきます。本学会は、産業保健職や社労士、人事労務の会員の方も多いので、この判決からどのようなことを汲み取っていくのがいいかというご示唆を頂ければと思います。

小島:
 今回ご紹介したい事件は、令和3年の年末に横浜地裁で判決が出たものですね。この判決についてどういう問題意識を持ったかを初めにお伝えします。労働法の学者として非常に有名で、学会をリードしておられる方の一人である、水町勇一郎先生が、代表的な法律雑誌である「ジュリスト」で、この判決を好意的なトーンで紹介されているので、一見、妥当な判決だったように受け止められると思います。疾患・疾病の症状がなくなっていたんだったら、問題行動や働き方にかなり支障のある特性を呈している方であっても、それを復職可否の判断のところで考慮するのはダメで、復職させなければならないとされたのですね。そういう論理は一見明快で、それはそうだろうという感じの紹介をされているわけですが、事実関係や判決の全文をよく読んでみると、そんなに簡単にはいかない話なんです。
 むしろ、産業保健の世界でよく勉強していて、一生懸命やっている産業医さんたちにとっては、違和感があると思います。学会でも模擬裁判をしたり、さまざまな議論をしたりしていますが、疾病性と事例性の両方をしっかり見て就業可能かどうかを判断するべきだとか、あるいは、さらにそこに職場側の受け容れ能力というか支援体制というようなことも考慮して、総合的に判断するのが標準的な考え方だと理解しています。「多軸的に」判断するという言葉を遣われる先生もおられます。
 実務では、そういう総合判断が普通だと考えられていると思います。ところが、この判決は、事例性はいいから、疾病性のところだけ治って、主治医が大丈夫だと言っているなら戻せばいいじゃないかとスッパリ割り切ったようなもので、産業保健の実務をやっている方にとっては、これは衝撃的というか、一人歩きしては困るのではないかというものです。
 どうしてこういう判断になってしまったのか、この背景は何だったのかということをいろいろな面から考えてみることは、産業保健の実務と法理論を考える素材としてすごく面白いと思いますのでご紹介します。
 この事件はおそらく控訴されて、いまだ高等裁判所で審理している過程ではないかと想像します。地裁判決からまだ1年ちょっとしか経っていませんので、簡単に和解が成立しないとか、高等裁判所がもう少し慎重に判断しなければと考えて内容の審理もやっていたりすると、まだ高裁判決が出ていないかもしれません。
 ということで、非常にホットな、今動いている事件ということでもあるので、コメントするのに慎重になる面もなくはないです。特に当事者サイドからは、現実の事件とは違いますよ、本当はこうですよというところも、あるかもしれません。けれども、私たちが外から分かる範囲で、公刊されている判決文を読む限りということで、ブレインストーミングだと思って議論できればなと思っています。

 産業医が労働裁判の被告になるとか、証人として呼ばれるなど、産業医が登場する裁判例が増えていますが、この裁判では医師も当事者になっています。被告として、シャープNECディスプレイソリューションズという会社に加えて、医師も対象になっている。
 通常、判例を紹介するときには、原告をX、被告をYとして、被告が複数いるときには、Y1、Y2というふうに数字を振っていくというのが、法律家の間での慣例になっています。本件では、被告になった会社をY1社、被告になった医師をY2医師と表示しています。
 ただし、このY2医師は産業医ではないのです。この件では、原告側を労働組合が支援していて、原告の代理人弁護士も記者会見をやっているというのはネットを検索すると記事が出てきたりしますが、原告サイドは、このY2医師を「会社指定医」という表現で呼んでいます。そういう記事を見ると、産業医ではないとしても、会社の顧問医とか、あるいは就業規則で会社の指定する医師と面談するようにと書いていたりして、会社が契約して依頼している医師のように見えるのです。けれども、中身を読むと、Y2医師は原告の主治医なんですね。ただ、原告の当初からの主治医ではなくて、途中で会社が紹介して一種セカンドオピニオン的に関与したようなのです。そういう経緯があるので、原告の側からすると、会社の息のかかった、あるいは会社と意を通じている医師ではないかと疑われる構造というか、そういうリスクのある立場だったわけなんです。
 通常のフィジカルな疾患などの場合には、産業医が「こういうところにお医者さんいますよ」と、受診を勧奨する流れの中で主治医を紹介するということは別に普通にあると思うんです。けれども、メンタルで、特にこのケースの場合、本人の疾患について、特に、発達障害の疑いというか特性が現れているという状態ではあるので、会社側は、それに詳しい、よく分かっているY2医師を紹介したということのようです。
 神奈川SR経営労務センター事件で、地産保が会社に紹介した医師(*)が産業医的な役割でパーソナリティ障害等の見立てを持って復職不可の意見を述べたことで訴えられてしまったというケースがありますが、それとは、構造はちょっと違うんですけれども、結果的にこのY2医師も被告として訴えられてしまったので、医師も被告として巻きこまれる一つの例として検討してみる価値があるのではないかと思います。

(*)以前、センターの嘱託産業医の臨床上の専門を「心療内科」と記していましたが、確認先の誤認による誤りでした。謝して訂正致します。

 それから、このスライドでは省略しているのですが、お医者様が幾人も登場します。P6医師まで登場し、もうキリがないので、これからの事例紹介では、詳細に全員を挙げることはしておりません。
 このシャープNECディスプレイソリューションズという会社は、おそらく、駅とか電車とか動く映像のディスプレイがありますね、ああいったものの製造やソフトの制作といった事業をやっているようです。事件が起きた当時は、NECの子会社で、社名も違ったようですが、途中で、判決が出る頃には社名が現在の名前に変わっています。NECからシャープへと経営の主導権が変わった背景があるようですが、それは、あまり本質的なことではないかもしれません。
 ただ、大企業の系列でも、関係会社や合弁会社のように法人を別にしていると、なかなかそこに関与される産業医や保健師、人事の管理能力はどうしても弱くなってしまうという面はあるのかなと思います。有名な大きな会社の名前が出ていますが、必ずしも整った組織や職場ではなかったのではないかと想像するところです。

 これから7枚のスライドがありますが、平成26年4月に入社してから平成30年10月31日に休職期間満了による退職になるまで、4年がかりの事実経過になります。休業に入ったのは入社してから1年半ちょっと経ったころです。勤務していた時のエピソードは、判決を読むと長そうに見えるのですが、それでも、この人はどういう人で、会社はどう考えて何をしていたのかというのは、判決からは十分には汲み取れないです。

 できる限り詳しく挙げていきます。まず原告(X)は平成26年4月に被告会社(Y1社)に入社した。新人歓迎会で同僚と会話もしないで1人でいたというエピソードがあり、さらに、日常では、昼飯も1人でとっている、こういう入社直後だったそうです。
 それから4ヶ月くらい経った平成26年8月、会社行事の納涼祭を無断欠席して無届残業し、上司から叱責を受けたということが起きました。行事に出ないで勝手に隠れて残業をやっていた。なんかちょっとよくわからない、そんな仕事熱心なの?という感じの印象を受けるかと思うのですが、この後も、これがまた続くのです。上司の注意指導に反応せず黙っていることが多く、独自のやり方に固執することが多く見られた。判決では、こういう事実を認定しています。
 翌9月、Xのために開かれた食事会では、つまり、Xさんはどうも職場に馴染めていないな、うまくいっていないなということだったのでしょうか、彼のために食事会が開かれたのですが、主賓なのに先に自分でご飯を済ませてきちゃって、そこでは何も食べない、同僚と話もしないで涙を流している。それから、この頃から、職場で月に1、2回、涙を流すようになった。
 翌10月には、また無届無断残業について、再度指導を受けた。また、上司から年休を取ってくださいと促した、これは会社としての年給取得促進というものが背景にあったようですけれども、それも拒否した。仕事をやめろと言ってもやろうとするんです。ここに、仕事ができるようになりたい、一人前になりたい、他の人に遅れを取りたくないということにすごく強いこだわり、恐怖感みたいなものがあるようです。だから、現状は仕事がうまくできていないという自覚が本人にあったんでしょうかね。そういう評価も、上司からされていたかもしれない。だけど、それを何とか労働時間によってカバーしようと。さらには、この残業には、勉強しなきゃいけないとかそういうこともあったかもしれません。まだ入社したばかりですから、業務を覚える必要があったでしょうし、また、専門技術者だったようですから、そういった専門技術の勉強もしなきゃいけない、そうしなければ追いつけないみたいな焦りがあったのかもしれません。ただ、異常なほどの反抗ですよね。会社という組織に入って、上司の指示に従ってやるっていうことをもう取っ払って、仕事ができるかできないか、ここのみで行動してるっていうことなんです。
 あともう一つ見られる特徴が、人とコミュニケーションをうまく取れなくて、どうしても一人ぼっちで孤立してただ涙を流すっていう、もうすでに普通じゃない精神状態をうかがわせる行動が始まっています。
 翌12月には、忘年会でメニューを見ながらまた涙を流すなど、精神的に不安定な状態になったということがあった。また、直属の上司から業務実施中の他部門への口調について注意を受けると、泣き出して黙り込み、上司からのメールに返信しなくなった。ここまでが、入社した年の年末までのことです。
 そして、翌年(平成27年)4月、入社からちょうど1年経つわけで、前年度業務の振り返り面談というのが行われたんですね。そしたら、開始早々泣き出して会話できない状態になってしまった。おそらくこれをしたのは人事か上司かあるいはその両方か、会社が通常のルーティンでやっている、みんな他の人もやるような面談の機会でしょうけれども、そこで泣き出しちゃって会話もできなかった。日を改めて面談が実施されましたが、そうして、自己の振り返りを尋ねられるとまた2時間泣き続け、そして、「同期より早く仕事を覚えたい」、「自分の目標が達成できていない」と答えたそうです。
 翌5月、Xは、毎日の仕事が始まるのが辛いと思うようになり、毎朝の朝礼の挨拶の際に、週に1回程度は涙がほほを伝うようになった。ずっと基本的には勤怠は乱れずに会社に来ているようなんだけれど、涙が出てしまう、泣き出してしまう、話ができなくなってしまう、こういう状態が、断続的に続いているわけですね。

 そして、平成27年6月、まだこれ入社して1年ちょっとのところですが、ここで健康管理室が入社2年目面談というのをやっている。これも多分、他の人もやったのではないかと思いますが、そうしたら開始10分後には涙目になり、職場でやっていけるのかという質問に対して、「分かりません」と答えて涙を流し泣いている。理由を問われても口を結んだまま答えず、一言も言葉を発せず、一点を凝視していた。同じ時期に産業医とも面談しているのですが、産業医は、人事総務部門の責任者に対して、病気の可能性もあるので本人了解のもと両親とコンタクトを取るようにと指示したそうです。
 翌7月、健康管理室の看護職が、Xに対して、あなたのコミュニケーションが足りてないことについて職場でみんな不安に思ってますよ、ということを言ったら、「基準はあるんですか。仕事にはすべて基準があります。基準を出して比べないと自分はそう思いません」と答えた。つまり、コミュニケーションが足りないって言われたから、じゃあ十分な基準ってどこなんですかって、こう言い返した。
 それで看護職が、職場の上司もここに来てもらって一緒に話し、上司にあなたの不安を理解してもらうのがいいんじゃないですかって言ったら、「そんな暇がある人いるんですか。プレッシャーがかかるので、同席はされたくない」と答えた。
 さらに看護職が、Xの電話の声が小さいことを指摘すると、「元気がある人自体いるんですか。自分はもともと声が小さいので、元気よく電話に出るには大変な精神改造をしないとできません」と答えた。
 そして、前月の産業医面談についても、あの時間がなければもっと仕事を進められた、この看護職の面談についても、これでまた仕事に遅れるじゃないかと言った、というのですね。これが平成27年7月のことでした。

 平成27年8月以降、Xは、職場で頻繁に泣き出すようになったそうです。この8月にも健康管理室で面談をしましたが、そこで、1時間半以上、涙と鼻水を流し続けた。
 翌9月、とうとう会社は両親に状況を伝えて、両親と面談をしました。その結果、両親が、私らが本人に話しますということになったのでしょう。ところがXは、両親に対しても、会社で泣いている理由を話さない。Xは、同じ関東の親元から離れて神奈川県の会社の近くに住んでいたようですが、とうとう両親から連絡しても返答しなくなった。メールなのかLINEなのか電話なのか分かりませんけれども、返事さえしなくなった。
 同じく9月、健康管理室は、会社に対して、大人の発達障害の疑いや20代の自殺傾向に言及した。ここで健康管理室は、発達障害じゃないのかという見立てを持つと同時に、会社に対して自殺のリスクについて注意を促した、ということのようですね。
 それで翌10月、産業医が母親に対し、医療機関を受診するように本人に説得してくださいと話をして、情報提供依頼書と発達障害を診察可能な医療機関のリストを渡した。だから、ここでおそらく発達障害の疑いについて母親には話をし、診察を受けてその結果を報告してくださいねと、Xの同意を得ていただくことも込みで依頼書を渡したのでしょう。このあたり、そんなおかしいことをやっているようには見えないかもしれません。
 そうしたら、この場に途中から同席したXは、涙と鼻水を流し続け、一切返答しなかった。そんな状態だからもうお母さんと二人で休みなさい、みたいな感じになったのかもしれません。別室に行って母親と二人になったら、Xが寝ちゃった。今度は、起きたと思ったら、お母さんから逃げて話を拒んだ。
 母親はこういう状態について、健康管理室に対し、「今回のことで本人が怒っているようだからもう何もしない方がいい」、「病気ではないと思う」、「勤務時間に先生の面談をしたから本人の居場所がなくなったのでは」、「あんなに泣くのは何かされているのでは」、「本人が仕事をしたいのにさせないのは業務妨害だ」、「自殺なんて絶対にしません」などと述べたそうです。こういう印象的なエピソードがありました。

 続いて同じく10月ですが、また産業医面談をやったんですね。そうしたら、最初から涙を流して、また2時間半も泣き続けた。その翌日は、朝から泣いてトイレに1時間半こもった。午後になると、半休を取って帰宅してしまった。一人暮らしだから自殺を心配したのでしょう、会社は、今度は父親と面談しました。このままでは自傷行為に発展する恐れがある、職場から自宅へ連れ帰り、医者に診せるようにしてください、と伝えた。
 それでも、翌11月、Xは健康管理室に対し、「精神科の受診はしません」と回答した。
 そして翌12月、上司が業務日誌の内容について質問しても、Xは返答せず、業務指示にも従わず、泣き続けた後、急遽、午後半休を取ることが多くなった。おそらく、業務報告する日誌の中身について質問されても答えないし、ああしなさい、こうしなさいという指示にも従わないで、とにかくそうなると泣いちゃうんでしょう。それでもう、午後になると半休を取りますと言って帰っちゃう。
 こういう状態でとうとう、12月18日、会社は、健康管理室で産業医同席のもとXの両親と面談した。この日は本人も会社に来てるのでしょうけれども、まず両親を呼んで面談して、医療機関を受診して就労可否に関する意見書を提出してくださいと求めた。お父さんは同意しました。親が同意したから、あとはXを説得するということで呼んだのかもしれませんが、途中から同席したXはこれに納得せず、突如3階の自分の席に戻って、涙を流して体を硬直させ、問いかけにも全く動かず、立ち上がることも拒みました。状態として、ハンガーストライキみたいなものですね。
 それで、会社の従業員2名がXの両脇を抱えて立ち上がらせ、背中を押して両親が待機する1階正面玄関まで歩かせようとしたんだけども、Xがパーティションに両手でしがみついたことから、今度は、さらに2名が加わって4名がかりで、手だけじゃなくて足も持った。そうやってエレベーターに乗せて1階まで降りて、ほとんど胴上げみたいな感じだったのでしょうか、4人で玄関まで連れていって両親の自動車に乗せた。これが、「本件連れ出し措置」というものです。裁判の時って、短く言うために、「本件〜」とか短縮した名前を付けるので、こういう言い方をします。裁判では、本件連れ出し措置についても、Xは、違法な行為だとして損害賠償請求の理由の1つにしています。

 それで翌日の12月19日以降、両親はP1医師のところにXをおそらく無理やり連れて行ったんでしょうね。このP1医師は、会社が紹介したとかでなくて、独自に両親側で探したようですね。
 それで、P1医師はどういう見立てをこの時したかというと、本人のストレス適応性の低さを指摘し、「本人の人格構造の問題が大きい。自己愛的である」との所見を持ち、適応障害の症状のため現時点では労働継続が困難とするという診断書を作成しました。ところがXは、この診断結果に納得しない。
 それで翌年1月、P1医師はまた診断書を作成しました。さっきも診断書でしたけれども、今度はまた別の診断書を書いています。「とても戻れる状態ではないが、休んでいるだけでもよくならない。本人の戻るという気持ちを尊重する。」として、「適応障害による症状は改善傾向にあり、本人の復職の意思を確認したため、復職可能な状態であると判断する」という診断書を作りました。
 同じ1月に、Xは、テニスのサークルか何かを会社の同僚とやっていたようで、会社の敷地内にテニスコートがあるんですが、そこで昼休みに、俺は病気じゃないんだって言ってでしょうか、テニスの練習をしてたわけです。そうしたら会社は、治療に専念しなさいということでテニスコートへの入場を禁止したのだけど、Xは休憩時間になるとまたテニスをやっている。休憩時間中にテニスをすることで、なぜ注意を受けるのか理解せず、指示に従わなかった、とのことです。
 同じころ、P1医師の診療情報提供書が会社に提出されました。「適応障害による情緒障害の症状を呈し通院中、復職は本人と職場の話の中で判断いただきたい」旨を書いてあって、復職可能かどうかじゃなくて本人と職場で話し合って判断してくれと、そういう診療情報提供書です。その前の診断書も、戻れる状態ではないと言いながら結論は復職可能って何のこっちゃということを書いていたわけです。この辺り、わかった上で書いている面もあると思うんですけれども、P1医師は、最初の頃から、どう本人に自己認識してもらうのかということに苦労していた様子がうかがえますよね。本人が強く復職を求めるので、いいですよって言わざるを得ない。
 けれども、彼の問題というのは、疾患の症状で体が動かない、朝起きられないとか、1日寝たきりとかじゃなくて、毎日会社に来られるわけです。この時って仕事は休んでるんですけど、会社の近くに住んでるので、休み時間になるとテニスコートに来てテニスをやってるんですよね。だから、業務はやらせてないけれど、もう俺は平気だってテニスをやっている状態。
 それで翌2月には、事前連絡なしに健康管理室を訪れ、自宅療養への不満を述べた。ということは、自宅療養っていう扱いというか、指示になってたようですけども、不満を述べたので、会社はリワークプログラムの実施施設について説明します。それから療養期間中の約束事項も説明して一応本人から理解しましたっていう署名を得ました。ここから想像するに、じゃあリワークに行ってくださいということを求めて、それから療養期間中には療養に専念して、テニスなんかしちゃダメですよとかそういうことを書いたのかもしれません。
 この約束事項が詳しくはちょっとわかりませんが、会社としては、それなりにこういうふうにやるべきですよみたいなことはやってる感じはするんです。だから、その労務管理というか、こういうケースでのそれなりの積極的な対応はやっているので、当時から会社は弁護士さんにも相談していたのかもしれません。ただ、ことごとくそういったものに本人が乗ってこないというところで苦労が続いてるわけですね。

 翌3月になると今度P1医師は「発達障害にしてもパーソナリティにしても不器用さが社会との関わりのなかで顕著となり、そこに会社でのストレスが重なって適応障害を起こしている」と考え、Xに対して、リワークプログラムの受講目的は、自分の苦手なところ、苦しい情緒を安定させて会社に認めてもらえるような行動を示すことなんですよなどと、リワークをお薦めされたようですね。
 こんな状態で3月26日休職命令が発令されました。ここまでの自宅療養は、おそらく有給休暇あるいは休職発令前の傷病欠勤が前置されています。欠勤期間として扱っていたのかもしれませんが、とにかくここで長期の療養を前提とする休職を発令したわけです。これが16ヶ月と書いてあるのは、この会社での勤続年数によって違いはあり得るとしても、彼の場合は16ヶ月休めますよ、平成29年7月25日に終わります、こういう発令をした。
 ところが、ここで今度は5月に、セカンドオピニオンを得るために受診したというので、これは本人側が動いたんじゃないかと思うんですけれども、どうもP1医師は何だかんだ言って俺のことを病気扱いすると、なんかこうキレが悪いわけで、そうするとP2医師に今度かかって、もう復職可能な状態と言えますという診断書が出されました。
 そしてこの8月以降ですね、ここで会社が紹介したY2医師の診察を受けるようになったということなんです。本人側が次のお医者さんにこうやって復職可能という診断書を書いてもらって出してきたので、会社側はこのY2医師を紹介したのかもしれません。
 それでリワークプログラムに同じ頃参加します。この時は埼玉の障害者職業センターだから、もしかしたら親元に戻ってその地域でのリワークに参加したのかもしれません。
 ところが、最後までやりきってなかったかもしれませんが、今度10月に職場で自分が一人暮らししている方の神奈川の障害者職業センターで、リワークプログラムに参加しています。
 秋から冬にかけてリワークに参加していたわけですが、翌年の春、平成29年3月に、最後訴えられちゃうY2医師が、診療情報提供書を提出しました。それが、症病名を「能力発達に元々特性があり、業務に支障をきたす人」って書いていたんですね。そして、助言・配慮事項が次のように具体的に記載されていました。

 Y2医師は、この書類を提出するにあたって、何度もXの要望を受けて書き換えているんですね。事前に修正をしているし、出した後にもまた訂正してくれ加筆してくれって、こういうことがあったそうです。
 それで4月、Y2医師は「業務や職場環境に一定の配慮があれば、業務可能になったと認める」と診断した。ここでP3医師っていう他のお医者さんからも複職が可能であるという診断が出ている。だから本人側が次々とお医者さんの数で勝負をしてきた。
 それでこのY2医師のさっきの配慮事項を見ていただくとわかるのですが、もう発達障害だっていう見立てを前提とした、一種の合理的配慮のような、特性に対する理解とか本人に伝わりやすいようなコミュニケーションの方法とかそういったようなものなんですね。これは最後まで本人は心理検査を拒否するので、お医者さんも正式な診断はできなかったんですが、本人は、発達障害じゃないと言って、発達障害に俺をしてやめさせようとしてるんじゃないかって、だからその手には乗らんぞという感じで戦っているわけです。
 けれども、このY2医師は主治医という立場で、見ればわかるような感じで書いて出しているわけですね。復職可能と言っても、ある意味一定の条件がある。この条件が会社として果たせるものかどうかによって、復職可能か否かっていう会社の行動も変わってくるわけで、そういう診断をY2医師はしているわけです。

 今のがY2医師が出してきたものだったわけですが、とうとう最初に行ったP1医師が、また診療情報提供書を産業医に提出しました。だから本人は通い続けていたんでしょうか。本人は病気じゃないって言ってるから定期的に行ってるとも思えないですけれども、やっぱりこの人に頼ったのかもしれません。P1医師は、最初は歯切れが悪いものしか書いてくれてませんでしたが、とうとう、適応障害は症状が寛解していると書いてくれたわけですね。それを産業医に出した。
 ここで、Xの強い復職希望と神奈川労働局からの助言を受けてということなので、本人側が労働局に働きかけたのかもしれませんね。厚生労働省の出先機関である労働局が各都道府県にありますが、ここであっせんとかの手続ができます。強制力はないけれど、助言指導をしてくれるという調整的な機能もあるので、本人側から助言をしてくれというふうに働きかけたのかもしれません。結果として会社は休職期間をさらに15ヶ月延長した。
 そうしたら翌月、産業医は就業を可とした。ただ条件として必要な配慮はY2医師の診療情報提供書のとおりとした。だからやっぱり、これも条件付き復職可です。
 ところが、この間というのは、ずっと断続的に、Xが入っているユニオンと会社が交渉をしています。どの時点でユニオンに入ったのかは読み取りにくいんですけれども、このユニオンというのは会社内にある組合ではなくて、一人でも飛び込んで入ることができる合同労組とかコミュニティユニオン、地域労組といったりもしますが、そういったところだと想像されます。団体交渉を申し入れたのかもしれませんが、会社と交渉が続いているんです。だから、会社の産業医や保健師、人事の方が直接本人と話をするというエピソードが出て来ないんです。この前もどれくらいコミュニケーションがあったかどうかわからないですけれども、もう完全にここではユニオンが会社と交渉するということが続いています。
 それで平成30年6月、いよいよ結末に近づいていくわけですけれども、P1医師の診断書がまた出ました。適応障害の症状が軽快し復職可能な状態である旨でした。
 そして同年9月、会社は結局、P1医師の復職可能という診断は受け入れないで、Y2医師とセカンドオンピニオンとしてのP5医師の診断書2通を求めました。このP5医師がどういう経緯で出てきたか、会社が指定したのか、本人が選んできたのかは定かではありませんが、おそらくユニオン側と交渉して一種妥協の産物だったのかもしれません。ユニオン側はP1医師が主治医であったからということでこの人が復職可って言ってるんだからもういいじゃないか、それに対して会社側はいやいやY2先生、それからP5先生の両方の診断書を求めた。
 そうしたら本人は、翌月P5医師による復職可能の診断書のみを出した。ここで本人は、Y2医師の診断書まで両方必要だって会社は言わなかったから、どちらかだけでいいと思ってP5医師の診断書だけ出したんだと言って揉めているようなんですが、結局会社は休職期間満了で自然退職にしたというわけです。

井上:
 私も判決全文を読んだのですけど、思ったより会社側も頑張ってやってるんだなっていう印象でした。ただ一方で、Xの生々しい言葉、「努力しようとしているのに!なんで!」「なんでだよ!」「努力してるのに…認められない…」って泣いているのを読むと胸がギュッと痛んだりして、双方のすれ違いが悲しい事件に感じました。

小島:
 そうなんですよね。発達障害の診断を受けるかどうかは別として、その特性として本人自身が思ったとおりに物事が進まない大変な状況にある。しかし、会社が通常の話が通じるだろうという意図でやってたり、本人の行動がよくわからなかったりすると、普通にやるべきことをやっていても、それでも結局かみ合わないっていう難しさを感じますね。
 それから私は普段自分が関与してても、多くのメンタル不調の当事者の方で、程度の差こそあれ発達障害特性として挙げられるようなことで上手くいかない、それで二次障害としてのメンタル不調になっているケースっていうものは多く見るわけです。けれども、本人に発達障害だっていうことを自覚しろとか、診断を受けろとか、それはやっぱりやらないようにしています。それは禁じ手というか、良いことはないんですね。ところがこのケースでは、どうも発達障害の特性を本人が受け入れてもらうことが、何かやるべきことだと考えて行動しちゃっているようなんですね。
 これが障害者雇用とかで、本人がもう既に診断を受け入れていて、その前提でどうやったら上手くいくだろうかっていうことだったら、それでいいんですけれども、まだ診断も受けてないし、診断を受けられるかどうかもわからないで、いわゆる診断閾値まで達してないかもしれない人の方が、通常の職場ではむしろ多かったりしますから、それを発達障害かどうかっていうことに会社側がこだわって関わることは非常に危険です。
 こじれた一つのきっかけというか、最後まで対立したのがこの点です。一体どうするつもりだったんだろうと思います。発達障害ってことを本人が自覚したら、どういう良い解決があると思って目指していたんだろうっていうところが、よくわからないですね。本当に当事者のことを理解していたら、そんな簡単に会社から奨められて、発達障害の診断を受けろって言われて受け入れられるでしょうか。障害者雇用で、既にその状態を前提として訓練をしてチャレンジしてきている人とは全く状況が違う。ある意味、真逆な状態と言ってもいいのに、そのやり方で、本人が一生懸命努力して、会社側もそれに対して配慮を提供してという感じで、良い方向に進むと思ったんですかっていう疑問があります。
 一般論で申し上げると、会社の方たちは、病気かどうかはっきりさせたいとか、何の病気かをはっきりさせたい、そうすれば物事は解決すると思っているようです。どっちかというと病気にさせたいというか、障害があるというふうにさせればいいんじゃないかって思いがちです。つまり、目の前で困って思うようにならない社員が病気なんだっていうことになったら、医療の問題であるし、本人が解決すべき問題になるから、これで自分たちが解放されるという意識があるのかもしれないです。けれども、ちょっとそれは非常に危ういことであるというふうに感じて頂けたらいいかなと思います。
 この判決で示唆されることは、発達障害特性が見受けられる社員に対して、こういう動き方をすると非常に良くないということです。ところが、医療だけとか、障害者支援だけをやっていると、その辺りで裏目に出るようなことを医療側や支援側もやりかねないということだと思います。相手の段階や状態に合わせて指導すべきです。見立てを持つのは大事ですけれども、本人にその準備性がないというか、それを受け入れるだけの状態になっていない場合は、思うとおりにそれで理想的に動くわけではないということを表している事件の一つと思います。こういったことは、他のケースでも多かれ少なかれ経験しています。
 特に、パーソナリティ障害はもっとそうですよね。見立てを持ったとして、それを本人に言ってしまうこと、それが根拠になると思って決定や判断をしてしまうということは、極めて危険なことで、その時点でのこじらせや対立を激しくさせるということもありますし、裁判になったときには、決して支持をされない行動になってしまうということも、この事件からいえます。

 結局Xはこの裁判で何を請求したのかというと、会社に対しては平成28年5月には復職可能だったから、それ以降復職させなかったことで未払いになっている賃金の請求です。
 それと、最終的に平成30年10月末に退職させましたが、これが不当であるから、未だ従業員の地位にあるということの確認を求めるという請求をした。
 裁判所は地位確認請求を認容しました。ただ賃金請求については、復職可能な時期について、原告主張どおりではなく、もっと後に産業医までが条件付きながら復職可能と言った時期には復職可能だったと認定しています。
 そしてもう一つ、さっきの本件連れ出し措置ですね、これが人格権侵害だとか身体の自由の侵害だということで100万円の損害賠償を請求したんですが、これについては、裁判所は認めませんでした。法律用語で、棄却と言います。
 そして、Xは、Y2医師に対しては、必要な検査などを経ることなく、会社の意を汲んでXが発達障害であるかのように誤導させる内容の診断をしたということで、300万円の請求をした。診療契約を根拠にして請求していますから、Y2はまさに主治医なんですね。債務不履行又は不法行為というのは、法律のロジックのバリエーションですから、どちらの理由でもいいですから賠償を認めてくださいということで請求した。これも判決では棄却されました。ただ、被告として訴えられたわけなので、Y2医師は裁判の負担で大変なご苦労をされたと思います。

 先ほど紹介したのは、Xの請求が認められたかどうかという結論です。では、その結論を導くにあたって、どういう理屈、ロジックでそういう結論を導いたかという判決文がこちらになります。判例雑誌でも、判旨Ⅰ、判旨Ⅱ、判旨Ⅲと言って、まとまりをもって要旨が紹介されます。かぎ括弧でくくっている部分は、判決文をそのまま引用しています。
 裁判所は何と言ったかというと、「私傷病による休職命令は、解雇の猶予が目的であり、復職の要件とされている『休職の理由が消滅した』とは、・・・原則として、従前の職務を通常の程度に行える健康状態になった場合をいう」と。これは、普通の裁判規範としてどの裁判所でも言うことです。就業規則に書いてある通りかもしれません。
 次に、「この復職の要件を、私傷病発症前の職務遂行のレベル以上の労働が提供できる状態になったことを意味するとし、それ以上に至っていないことを理由に休職期間の満了により自然退職とすることは、解雇権濫用法理の適用を受けることなく、雇用契約の終了という法的効果を生じさせることになり、労働者保護に欠ける。」、つまり、私傷病発症前の職務遂行レベルの労働、本人が現実にしていた仕事レベルの提供ができる健康状態になればよくて、そのレベル以上にまで至っていないからと言って休職期間満了で自然退職とすることは、解雇権濫用法理を免れることになると言いました。
 業務遂行が不良だとか、そういった理由での解雇について、通常その業務改善のための指導や警告とかを繰り返して、ジョブ型じゃなくて配置転換を前提としているような仕事だったら他のこともやらせてみたりして、それでもやっぱりダメだったというところまでプロセスや手順を踏みなさい、可能性を探りなさいという解雇権濫用法理の話が、病気になって休職させて戻れませんねっていうことで良しとしてしまうと、休んでて戻れるか戻れないかの場面で決着しちゃうのはおかしいでしょうと言われちゃったわけですね。
 だから、休職期間満了の時点で、「当該傷病の症状は、私傷病発症前の職務遂行のレベルの労働を提供することに支障がない程度にまで軽快」していればいいんだとしたわけです。その時点では大した仕事ができていなかったり、全然ダメだったりしてもいいんですよ。病気が治って症状が消えているんだったら復職はさせろということですね。
 そして、「当該傷病とは別の事情により、他の通常の従業員を想定して設定した『従前の職務を通常の程度に行える健康状態』に至っていないようなときに」、休職期間満了により自然退職とすることはできない。本来はこれぐらいできなきゃいけないんだと言って復職不能というのはダメですと言われちゃったんですね。今の判旨Ⅰは一般論というか規範定立と言われるものです。

 この判旨Ⅱは、先ほど立てた規範が本件ではどうかという、あてはめと言われるところです。「Xの休職は、あくまで適応障害により発症した各症状(泣いて応答ができない、業務指示をきちんと理解できない、会話が成り立たない)を療養するためのものであり、Xが入社当初から有していた特性、すなわち・・・職場内で馴染まず一人で行動することが多いことや上司の指示に従わず無届残業を繰り返す等の行動については、休職理由の直接の対象ではないと考えるべきである」と、そうしたら、前者が問題解決したら、後者が残っているとしても復職不可にしてはいけないんだということですね。
 そういうことなので、判旨Ⅲでは、「Xの休職理由となった適応障害の症状のための健康状態の悪化が解消したといえる時期は、Y1社の産業医がXの復職を可能と判断した平成29年7月と認められる。Y1社がXを自然退職としたことは無効であり、Xの賃金請求は平成29年8月分以降理由がある」とし、本人の主張からは1年強は遅れましたが、産業医が復職可とした時期には復職可能だったとして、退職扱いは無効だし、賃金もその時期以降については払わなければいけない、という判決になりました。

 この判決について、水町先生は、復職可否と退職扱い可否の判断はそれぞれ理論的に区別できるんだと評釈しています。復職不可というのは就業規則の解釈で、退職扱い不可は信義則の観点で判断する必要があると、そういう趣旨で書いておられるようです。裁判例の中には両者を混同して判断しているものもあるとして、水町先生が独立行政法人N事件という裁判例を挙げているんです。

 この独立行政法人N事件というのは、独立行政法人農林漁業信用基金事件(東京地裁平成16年3月26日判決)というもので、このケースでは、休職に入る前の段階では、派遣さんかパートさんがやるような仕事をさせるしかなかったんですね。仕事ができない、様々な人とうまくいかないみたいなことを経た上で、本来の仕事が非常にできていない状態だったんです。メンタル不調の事案でしたが、復職させるかさせないかっていうときに、会社側が、もともと本来の職務が遂行できていなかったから、休職事由が消えたかどうかの判断は、本来この人がやるべき職務の遂行能力を回復しているかどうか、その遂行能力があるかどうかが基準だって主張したところ、これを判決は支持したんですね。
 これは原告敗訴の事案でしたが、こういう判断の仕方について、水町先生は、復職できるかどうかと退職扱いできるかどうかの判断の両者を混同していると批判されているわけです。
 本判決は、この点について、休職理由である傷病の症状と発症前から有していた特性を区別して、復職要件として後者を考慮に入れることは、解雇権濫用法理を潜脱するものとして妥当でない。だから、症状が解消した時点で、復職を認めるべきであるとしました。先ほど長々と書いてあった判旨を、水町先生はこのように要約したんですね。最後に、復職可否と退職扱い可否の判断を明確に区別し、前者の判断に後者の判断要素を混入させるべきでないことを明らかにした裁判令は珍しく、先例的価値を持つ、と述べています。この先例的価値を持つというのは、控えめな好意的表現だと思います。つまり、他の同種事案に直面した裁判官はこの判決を参照してくださいね、その価値がありますよというような評価をされているんだなというふうに理解しました。

 

 だけど、おいおいちょっと待てよ、というのが疑問としてあるんです。確かに復職できるかどうかと退職扱いにするかどうかは区別できますよね。同じ判断じゃなきゃいけないわけではない。ただその区別されるといった時に、だから退職扱いできるかどうか、あるいは解雇可能かどうかということで考慮するものを、復職可否の判断の中に入れちゃいけないとは限りませんよね。それもまた理論的にこれは水と油じゃなきゃいけないっていうのが論理必然や自明ではないはずなんです。
 ところが、区別できるからといって復職可否の判断を非常に純化するというか、病気のピュアな症状として一時的に現れているものに純化させてしまっている。こういう適応障害って診断名がついて、涙が止まらないとか、その前の時期よりコミュニケーションがうまくできない程度も上がっていたとか、いろいろ酷い状態だったでしょうが、なんでそんなことになっちゃったのかっていうのは、発達障害ではないかと考えられた彼の特性といわれるものが、働けない状態をもたらしていて、疾病の症状を生み出すところの原因にもなっているし、職場でトラブルを起こして周りとうまく働けない状態を作り出している。
 この辺りのことをどこまで復職可否の判断にとり入れるべきかということですが、労働者保護の立場からすれば、休職理由をできる限り純化して、さらにはもっと形式判断をするとすれば、主治医が診断名として挙げた疾病が、まさに治ったか治ってないかだ、ということだけになる。
 本当はこうなんじゃないの?みたいなことは、別に発達障害に限らず、診断として医師が責任を持って判断できていないことは、復職可否で考慮するべきではない、病気を治すための休職という捉え方をすると、復職というのは病気が治ったかどうかということになるわけです。
 しかし、なぜ病気になったのか。その病気のなり方がまさに働けない状態だったわけです。物理的には会社には来られるにもかかわらずまともに働けていないわけですから、それを復職判断のときに考慮してはいけないかの如くに言ってしまった。これは、復職可能かどうかというときには、疾病性と事例性をセットで考えると言われていたり、総合判断をすべきだとされている実務の側からすると、この判決は、ちょっと一人歩きすると怖いなと思う。あるべき復職判断と考えられていることを、労働者側が拒否できると思ったり、不当だからと争えると思ったりしてしまう、そういう危険のある判決だなというふうに思います。
 ただ、反面で、私個人としては、最近は、事例性の名のもとに、本来働けないんだからということで、注意・指導を繰り返すとか、職場でのやり取りの営み、つまり仕事をさせながらチャンスを与えながらを経て最終的に普通解雇するというプロセスを吹っ飛ばして、もう手に負えない人だから、ちゃんと働けてないんだからということを産業医が復職の可否の判断に堂々と取り込んじゃうというような風潮というか、そういうことの不用意さ、悪く言えば悪ノリというくらいまで、私はちょっと違和感を持っていました。
 さらには、パーソナリティ障害の症状が見られる場合、パーソナリティ障害という診断なんて容易には付けないし、そんなの裁判でも容易には認められないでしょうから、その代わりに、疾病性と事例性という言葉を使って、事例性として復職判断の中にどんどん取り込んでしまってたりするような、いささかズルさみたいなものを感じていたんですね。だから、一種の揺り戻しが起きたということでしょうか。この件は、組合側がどういうふうに彼を支援したかというのはネット上にも出てきますけれども、これは新たなリストラ手法だと、辞めさせたい人間、邪魔な人間を、障害か病気だというふうにして休ませてしまえば、復職のところで排除できるというようなことは許してはならないという戦いをしたんですね。だから当然それに応えるような判決の枠組みができてしまっていたという面もあるのかなと思うんです。
 日本の場合は、判例法主義ではないので、大きな規範については、最高裁判決は相当な先例としての価値、拘束性を一定程度持ちますけれども、地裁判決、高裁判決のレベルでは、バラバラにばらけていて全然それは構わない。事例判決であって、この事件について結論を出すために構築したロジックであるし、当事者の主張の仕方にも影響を受けたものだった、と整理できる。だから、あんまりこれで大きく仕様が変わっちゃったとか、とんでもなく裁判所がみんな変わっちゃったんだみたいに思う必要はないです。
 けれども、ここまでスッキリはっきり言った判決は珍しいというふうに水町先生も言うくらいですから、これからこの判決が労働者側の弁護士さんや組合から引用されたり言及されたりして、こうじゃないとおかしいでしょっていう主張をされることは大いに可能性としては考えられると思います。
 普通解雇は、特に大きな会社は非常に躊躇します。事実上やったことがない。懲戒解雇はやったことがあっても、普通解雇はやったことがありません。そういう会社だと、もう復職できませんから自然退職になります、という対処の仕方は、非常に魅力的に感じるわけですね。職場としてもう手を焼いてしまっていますから。それに対しての一種の警告として、病気だということや産業医を使ってやめさせようみたいなことはダメですよと、現場で業務の指示・指導をして、人事も軽い懲戒処分をしてでも改善を促して、ということをやらないでいて、こういうやり方はダメですよ、という警告であろうとは思います。
 こういう汲み取り方をしないといけないと思います。復職基準を疾病性に純化して、主治医が診断した疾患が回復したかどうかだけで純粋に判断していいんだという判決だという単純なとらえ方をするべきではない。この件で、会社側は、病院につなごうとか、診断を受けさせようとか、治療を受けさせようという、そっちは一生懸命やってるけど、その前の、どういうふうに彼と職場の人間関係とか、上司が本人との関係性を作ろうとしたのかとか、業務についてどういう指導をしたのか、というのが判決に出てこない。ということは、会社側がそこをしっかり主張・立証しなかったのだと思うし、それをするだけの材料がないということは、そういうことをやってなかったんだろうと想像されちゃいます。それに対しての、これは警告だというふうに私は捉えたいなと思います。
 この件では、産業保健職が、大人の発達障害じゃないのって言って、疾病性の方に引っ張ってきちゃったようなところがあります。それを承知した上で、上司の関わり方や本人とのコミュニケーションの仕方をこの人の特性を踏まえてやれていたのかというと、そう感じられないんですね。逆に火に油を注ぐような反応をしている。発達障害の特性のいろんな職場での意味合いというものとか、どういう心理状態になるかという深い理解ではなくて、非常に疾病性に偏った発達障害理解をそのまま職場にぶつけて、配慮しろってやっているようなところがあります。それでは職場側は分からないし、受け入れられないということにならざるをえないかなと思います。配慮事項が出てくるのは休ませ始めた後であり、それなりに健康管理室が面談したり、上司が関わったり、いろいろやってましたけれども、当時あまりそういうことについてアドバイスしたり導いたりしたようには見えません。
 そうすると、これは産業保健職だけではなくて、人事や管理職こそ、今話したような発達障害の方についてのいろんな話、診断を受けるかどうかじゃなくて、誰にでもあるいろんな特性のバリエーションですね、やりたくてもできない、ついこだわってしまうとか、曖昧なことを言われてもうまく判断できないとか、それでは動けないとか、あるいは長時間労働になってしまいやすい特性、なぜそういうふうに仕事が長時間になってしまうかとか、そういうことをもっともっと学ぶべきだと思うんです。まだそれがないとしても、今の状態ではせめて産業保健職が、病気だっていうふうに扱うんじゃない、障害だっていうんじゃない、けれどこういう人にはこういうふうにした方が伝わるんじゃないですかとか、こういうところはどうですかとかいうヒントや示唆を出して、人事や管理職が相手とのコミュニケーションが成立するようなガイドや支援っていうようなことをできなかったものかなって。それはこれからの話だと思いますけれども、そういったことがもしできてたら、また違ったのかもしれないなって思ったりします。
 だから、突き詰めてしまうと、病気かどうかだけじゃないという理解を広げていかないといけない。医療側も会社側も、疾病性から離れて、もっと仕事をする場面での実務的な理解をする必要があります。そういった経験とかヒントや知見っていうのは、発達障害や精神障害の方を中心に就労移行支援をやっておられる方たちにはある程度蓄積されています。だから、障害者雇用を日頃から積極的にやっている方たちと一緒に勉強するっていうことが、経験や蓄積としても効果があるわけですよね。今こじれちゃってるこの人を基準に理解しようとしても難しいです。確かに発達障害の基本となる特性はたくさん見られるけれど、それがこじれて非常に御しがたい言動になってしまっているので、これを最初に素材として勉強しろって言われても、やっぱり陰性感情が沸き起こってくるし、ネガティブに捉えてしまって、そう簡単にできるものではないと思います。本当は、障害受容していて、訓練を受けていて、さらにはジョブコーチも支援してくれるような中での障害者雇用の経験ということこそやっていくのが、こういう難しい状態の方を相手にしたときも有効な手が打てるっていうことだろうと思います。
 ちょっと長くなりましたが、次にもう一個、論点があります。実際、私も実務的には、これは揉めそうだなとか、微妙な判断だな、主治医が復職可って言ってるんだけどもちょっとそれはそのまま飲むわけにはいかんとか、あるいは休職中にやるべきことを本人がちゃんとやらないとかですね、様々な事情から、復職可否について最終結論を出すには休職期間の残りが足りなくなってくることがあります。そういうときに、会社が特別扱いして、あなたについては2ヶ月伸ばしますよ3ヶ月伸ばしますよってやることは構わないことですから、復職の可否、つまり働ける状態かどうかの判断のために、ちゃんと働ける状態だっていうことを説明しなさい、それを見せてみなさいっていうことをしっかりと求めて、それで確認できたね、じゃあ戻りましょうっていうプロセスをちゃんとやるために必要であれば、休職期間は伸ばして対応するということでやってます。
 ところが、問題は、この件でもそうでしたが、復職を遅らされたということで、その間の給与請求を受けるリスクは残っちゃうんですね。請求額として、高いと思うか安いと思うかではありますけれども。
 確かに、その人が一度もできたことのないような業務遂行レベルを要求して、それができてないじゃないかって言って復職させないというのは、無茶でしょう。休職に入る前の段階というのは、やっぱり仕事としてちょっとうまくできてないとか、その前にも仕事の軽減がされていたりすることがある。それを、一時的なものだよとか、しっかりとした枠組みを明確にしないまま、だらだらずるずるなし崩し的にもう何年もろくな仕事してないんですみたいな状態があった上で、休職に入ることになることって多いじゃないですか。それにもかかわらず、あるべき姿に、普通に仕事できる状態じゃなきゃいけませんよっていうことを言っちゃいけないっていう話になったら、それはちょっとどうなんだと思います。
 休職の意味ですよね。確かに休まなきゃいけない、療養に専念するっていうのは、仕事から離れる、しっかり休んで寝る、それは確かに必要なことで、そのための休職でもある。けれどもやっぱり、それはそういう状態からのリハビリというか、体力の回復という意味合いもあると同時に、どうしてそんな不調になっちゃったのか、特に適応障害的な、仕事がうまくできない、職場となじめないということについて、しっかり振り返りをしてそこに対応する術とか、そういうものを少しでもうまくいきそうだなっていう実感も含めてやった訓練とか教育っていうことも、休職をして仕事に復帰をするまでの、休職期間の後半にやるべきこととして、しっかりとこれは認めるべきではないんじゃないのか。一生懸命に支援的にやっている会社こそ、そういう関わりをしていると思うんですよ。確かに今症状が消えているかもしれないけど、仕事に戻ったら早晩すぐにでもおかしくなりそうな状態で無理して復職をさせても、またすぐに休職しなければならないことを繰り返すことで、むしろ戻りにくくなってしまいますよ、だから一回で終わらせるためにしっかりとここで訓練的なことまでやって戻りましょうと、支援的であるからこそやることも多いと思うんです。そういう会社の方針とか裁量が、この判決のような考え方によって否定されてしまいかねないのではないかという懸念を持つのです。つまり、この判決のロジックで考えたら、病気さえ治ればそんな面倒くさい訓練はやらなくていいんだ、というような理屈になりますよね。そうではなく、本来、休職中というのは、そういった自己理解とか訓練も求めていいのではないか、ということです。
 このように、再休職を防ぐ、つまり再燃・再発を防ぐためにも、休職中に念入りに準備させるということは、否定されてはまずいのではないかと思います。
 それが認められないのであれば、賃金請求を覚悟しなきゃいけないけど、さらに、退職扱いする局面では、さすがにそこは慎重になるところで、じゃあ復職させるということをするぐらいだったら、特別にですよって休職延長する。その間に、何らかのけじめなり、本人のコミットを得る必要があります。とにかく病気が治ったんだから戻らせてくださいっていう、人任せのような態度じゃなくて、私はこういうことで病気になったと、それは今こういうふうに解決する、そしてこういうふうにできる自信もありますっていう、何らかのそういうコミットをさせて戻さないと、病気を再燃・再発させないことについて、別に約束したわけじゃないし、私のせいじゃないしっていう、そんなマインドセットで復職させていいんですかと。発達障害の特性についても、こういうふうに考えているから、それで仕事がうまくいかなくてストレスになっているのだから、これからは、仕事のやり方、仕事の捉え方をこういうふうに変えていこうとか、上司とはこういうふうに関係性を作っていこうって、そういう振り返りを休職中にやるべきなんじゃないですかっていうこと。そのために必要な期間をさらに休職することについて、本人が自発的に求めるならいいんでしょうけど、そのためにも、会社からも、復職のために目指すべきものとして、復職判断でそれを考慮して判断しますよっていう事実上の一定の強制力っていうかプレッシャーや枠組みもないといけません。この人にだけに要求すると不公平だってことになるから、どなたに対しても同じようにやっていただいているということにしないと、この人だけ邪魔してるようにアンフェアになってきますからそこは気をつけないといけないと思いますが。

井上:
 もう今までのところで、この判決に対する私の疑問、産業保健職への示唆、人事労務・社労士等への示唆も、ほとんど話していただいたところですけれど、ちょっとおまとめいただきたいと思います。

 本判決を読んで思ったことについて図式化しました。単純化すると、本判決の考え方というのは、疾病性の問題は休復職で対応できる、事例性の問題は教育や注意指導、懲戒で対応できるということで、両者を峻別できるんだと。だから、疾病性の問題が回復したんだったら復職させるべきというふうに聞こえる。法律家はこういうシンプルで楽な考え方は好きですし、水町先生がお墨付きを与えたとなると、裁判官もこれから割と使うようになるのかなと感じました。理屈もすっきりしているし、一見すると従業員の雇用継続に資するような考え方のようにも思いました。
 ただ、性格なのか病気なのか判然としない従業員の方が増えている中で、この峻別の考え方に実効性があって、本当に従業員のためになる理屈なのかなというのが気になりました。つまり、病気が治ったという診断書が出たら、本当のところは置いておいてとりあえず復職させてあげなさいということだと思うのですが、それは一見従業員のために見えるんですが、うがった見方をすると、「どうせ復職させてもまたすぐに仕事できなくて休んじゃうのだから、その時に懲戒処分したり、もしくは休職期間の通算規定で自然退職させたりすればいいんじゃないの」っていうふうにも思ってしまいます。とりあえず一回復職させてみて、その後辞めさせればいいという理屈にも悪用できる危うさがある気がして。チャレンジって言葉は聞き心地が良いですが、けれどろくな準備もできてなくてチャレンジして失敗したら、すごく従業員本人も傷つきますし、職場の同僚とか上司も傷つきますし、結構どちらも傷つくようなことが起きそうで。そういう意味では、ある意味ではこれはこれで冷たい考え方かなっていうふうにも感じました。
 それに対して、疾病性と事例性は連環している、峻別はできないって考え方。これを小島先生の考え方としていいか、とりあえず本判決の考え方と対立させるっていう意味で置きました。この場合は、要は相互に改善した場合に復職させるべきっていう考え方につながるかと思うんですが、この疾病性と事例性が相互に連続しているというのは、やっぱり現場感覚にも合うと思いますし、常識的にはそうだと思うんです。
 ただ一方で、この考え方は復職のハードルがやっぱり上がるわけで。厳格に適用すると、復職できる人なんているのかっていうような気もします。そうすると、そういう問題社員を、先ほど小島先生がおっしゃったように、安易に休職期間満了で退職させるっていう方向に悪用することになりかねないこともあります。両者を峻別する考え方は一回復職させてダメだったらやめさせりゃいいっていうことにできそうだし、両者は連環してるという考え方はそもそもの復職ハードルが上がるからなかなか復職できなくなるということで、どちらも一長一短な気がして、そこが素朴に感じた疑問です。先ほど先生にお話いただいたことで答えが出てるんですが、この辺りはどのように整理して理解するのが良いでしょうか。

小島:
 自分でもそのジレンマを何とかかいくぐって話をしようとした部分があると思うんですけど、一つは、私の認識では、疾病性と事例性っていったときに、連環しているというよりは、医学の言葉でいう病気の症状を疾病性と言っていて、結局その疾病を持っている人が仕事や職場の場面で問題を起こしたり、トラブルになったり支障が生じたりという事象を事例性と言っていると思っています。本件でいえば、適応障害の疾病性に対する事例性についてはカッコして入れてあった、涙を流して泣いちゃうとか、酷い状態のやつですね。そのベースにあるであろう発達障害の特性については、コミュニケーションがちゃんとできないとか、上司の言うことを聞けないとかは、事例性というよりは、ベースにある特性について、前からあるもんだからという方法で判断しています。先ほどまさに疾病性と事例性という言葉を自分で遣ってしまいましたが、本来の事例性というのは、疾病としっかり一対一対応しているもっと厳密な意味での対応関係にあるものを事例性と言うべきだと思うのです。それが悪ノリしているのではないかと申し上げたように、目の前にある疾病よりももっとベースにある発達障害特性とか、あるいはパーソナリティ障害という病名をつけるかどうか別としての逸脱行動や手に負えない状態とか、これらを何でもかんでも事例性に放り込んでしまえばいいとは全然思わないのです。しかし、ただ目の前にある表面的な疾病だけを治すのが休職期間で、その症状が消えたら戻れるんだという考えも、産業保健の常識からしたらありえない。症状が消えて日常生活が送れるというレベルと、就業して大丈夫なレベルというのは、相当なギャップがあるということは、産業保健をやっている方には常識だと思います。判決文ではそこを吹っ飛ばすかのごとくな過度な単純化のきらいまで感じるのです。まあ、原告被告双方がよくわかって主張し合ったものじゃないから、裁判所も結局材料がなくて、こういう書き方をするしかなかったんじゃないかなとも思います。
 もう一回整理すると、厳密な意味での事例性っていう意味合いでは、連環しているどころか、完全に一つの物事のA面B面みたいな、表裏一体のものであって、これは同一のものの単に光の当て方を変えたのが疾病性・事例性ということの厳密な言い方だと思うのです。ところが、今回のようなケースは、むしろ、疾病性としても表現されていない、表に出ていない疾病性なんですよね。ただ、その疾病性っていうのは事例性を呈していることが多くて、また発達障害なんていうのはその疾病性と事例性が区別しにくいのが難しいところだって言われたりしてます。
 ましてやパーソナリティ障害なんて事例性の塊のようなものじゃないですか。これをどう対処すべきかっていうのが本質的な議論の立て方だと思う。もしかしたらこれを疾病性・事例性という整理の仕方をするのは違うのかもしれないなと思います。そのあたり、さっき我々はやや悪ノリな状態になってないかというのは、事例性という言葉を一対一対応じゃない、何でもかんでも放り込んで労務的な対処をすべきものまで復職判断のところでハードルを上げるようにしていたんだったら、それは排除の論理となりかねないのはもちろんそうだと、その警告だと思って真摯に受け止めるべきだと私は思うんです。

井上:
 なるほどです。A面B面ということですね。本来はそれが疾病性と事例性なんですね。疾病性と事例性を区別しろということをまず言われるから、別のものみたいに思いがちでしたけれど、小島先生のおっしゃるとおり一体のものとして、光の当てる角度の問題というふうに考えれば、この両者のある意味では矛盾というか、問題点を超える何か視点ができるのかなというふうに感じました。ありがとうございます。

小島:
 疾病性と事例性に分ける目的というか効用は、役割分担だと言われますよね。疾病性は産業保健、事例性は人事労務として、責任領域というか誰がそれについて当事者として責任を持って対処するかということのための整理の仕方なんだと思っています。私も産業保健界で最初にこれがどう言われて今皆さんがどういう共通認識を持っているのかということを正しくは知らないので、私独自の解釈かもしれないので、もう一回疾病性、事例性という言葉の意味することをよく厳密に定義というか、どういうつもりでそれを言っているか、ということを我々が話をするときに行っていかないと、マジックワードになって、荒っぽい判断になりかねないなという感じがします。

井上:
 産業保健職の方や人事労務・社労士の方への示唆というのも、先ほどの話でほとんど話していただいたのですがポイントとしてまとめていただくと、どんなふうになりますでしょうか。

小島:
 一つは本人の病識がないとか、特に発達障害の特性についての自己理解がない、それを受け入れられるような状態ではない人に対し、その発達障害の診断を受けるようにというふうに持っていくというのは、非常に危険だということをよく表しているのではないか。ご本人自体も発達障害だって診断を受けることがどういう意味なのかということ、ご本人も漠然とした恐怖があり、あるいは偏見がある。障害や疾病は普通の病気だってそうやって一人歩きして、だから病名を言う必要はないと、健康情報の加工が必要だというのは、結局その病気や障害についての全体的な正しいバランスの良い理解ができる相手なら全部説明すべきだと思うけれど、それが期待し難い状況で病気や障害というふうに持っていくということはするべきではない。それは分かっている人が承知して、じゃあどうするのっていうところだけを人事なり業務なりのロジックと言葉にちゃんと置き換えて、病気や障害を前提にしないで話ができるようにするというのが必要だと思います。そういうことが、産業保健が単なる臨床の医療ではない側面、必要なスキルというか経験かもしれないですよね。職場の論理とか働く人の言葉で、医療的な見立てや支援をちゃんとそこまで翻訳して置き換えてやるということまでやらないと通じないし、危ないと思います。
 それから産業保健職だけではなく、今回のような主治医という立場で、精神科の臨床医の方々も、大人の方の治療をしていて、働けるかどうかというところに主治医として関わっていくというときに、この発達障害の特性がベースにあって本人が苦労している実態とか、職場でどういう困り事が起きていて、どうすればこの人はストレスを回避したり、うまく処理したりしているのかというところまで、臨床の精神科の先生にももっともっとわかってほしいなと思います。本人への教育的効果として、何も発達障害だとか、そんな診断をする必要はないんだけど、じゃあどうしたらストレスとかを感じないでうまくできるかなっていうことの知恵として話してやればいいんだし、どうしてもそこでそう考えちゃってるよねとか言って、だからまずはしっかり話を聞いて、どこを切り替えたり、持ち替えればうまくいくか、じゃあやってみようみたいな、そういう指導というのも、臨床側の方たちにもやってもらいたい。そのときはたぶん、臨床心理師さんとか、精神保健福祉士さんとか、そういう方も関わってもらえるようなクリニックである必要もあると思うし、さらに言っちゃえば、心理学やカウンセリングでいう心理の話ではなくて、どちらかというと、障害者雇用の支援をやってる人たちのように、本人の病気とか障害を抜きにしてもうまくいく方法の知恵をたくさん持って本人にそれを気づかせてやってみる、手助けをする誰かがいないとダメだということだと思うんです。
 突き詰めると、実は人事の人がしっかりそういうことを勉強してやれば、別に産業保健が分かってなくても構わないとも言えるくらいだと思いますけどね。もう言っちゃいましたが、人事労務や社労士さんへの示唆は、事例性と疾病性が区別しにくいとか、医療の知識や視点だけでやろうとするとかえってうまくいかないということ、かといって発達障害とかパーソナリティ障害的な症状を呈してしまっている人って、それって性格が悪いからとか、ひねくれてるからとか、根性がどうだとか、そういう話じゃないのよっていうことも、人事労務や社労士さんも分かってないといけないわけで。従来通りの定型的な、産業保健職は疾病性、人事労務や社労士さんは事例性とか、そういう役割分担じゃなく、表裏一体なのでどの立場でも同じような共通認識を持たなければいけないし、単独で関わっていくんだったら人事労務や社労士も、産業保健職的な知識も持って、全体的な観点で支援していくっていうことをしないと、こういうケースっていうのはうまく対処できないかなって思います。

井上:
 先生最後に一つだけ。この会社の就業規則の休職事由のところは、「業務外の傷病によって長期の療養を要するとき」としか書いてないんですよ。これ仮に、休職のところの規定が、「傷病その他により心身の状況が業務に耐えられないとき」とか、何かいかにも法律家的に「その他」っていうふうに入れてたりすると結論は変わったりしますでしょうか。

小島:
 するかもしれませんね。実際、就業規則を自由に直せる状態だったら、私はそのようなことをまさに考慮していろいろと考えてます。はっきり言って、病気と仕事の両立支援がこれだけ進んでいく中では、病気だからダメとか、病気が回復してなきゃとか言うんじゃなくて、病気を持ちながら働けるかどうかですよね。だから、「療養を要する」っていうのは、それは裏返して、働ける状態じゃないっていう意味合いを言ってると私は解釈すべきだと思うんですが、普通に一般の人がそれを読むと、病気で治療を受けて入院してなきゃいけないとか、自宅で安静にしてなきゃいけないかっていうふうに思いますよね。それはいやいや違うんですよ、働ける状態かどうかなんですよっていうのが、まず一点です。
 それからまさにおっしゃるとおり、今のような書き方だと、今度は病気だっていうのが特定して診断されないと休ませられないという変なロジックが出てきちゃって、だから何の病気かはっきりさせろみたいなことになって、それでも病院に行けって言っても行かないとかね。病気じゃないからと診療を拒否するってことも出てきてしまう。だから、ここはそんな言い方じゃなく、「健康上の問題」とか、さらにもっと言えば「健康上の問題がうかがわれる」など、要は就業をするのに言動とか能力の発揮状態が適切でない状態であると。厳密に書けばそういう健康上のことに限らない規定っていうのも作り方があり得ると思うし、健康上の問題を書くとしても例示として書いてそれに限られない解釈をできるようにしたりとか、いろいろそれは工夫するところがあると思います。ただ、広げていくとどんどん散漫になっていく面はありますので、その辺の綱引きかなって思っております。

井上:
 今度6月の学会のeラーニング研修で、小島先生にやっていただくテーマが、まさに「休復職をめぐる就業規則の運用」でした。また小島先生のお話を聞けること、楽しみにしています。本日は誠にありがとうございました。

 

以上